未来へ

日本サッカー、リオオリンピック出場おめでとう!!!





おじいちゃんが亡くなってからおじいちゃんの事を考えない日がない
それは、お爺ちゃんの部屋を日に何度も行き来しているせいではあるのだけれど
それ以外の場所でもお爺ちゃんのことは頭から離れない
思うことは、その時々におじいちゃんがどんな気持ちでいたのかという想像が多い
もう想像することしかできないのが悲しい
それでも精一杯のことはやってきたんだという後悔の気持ちはない
お爺ちゃんも精一杯に前を向き、私たちに明るく接し力を振り絞っていた



ありがとう、ごちそうさま、美味しかった
私が部屋を後にする時に必ず言っていた
これ以上の事は何も出来なかったが、お爺ちゃんの気持ちは察していた
こちらこそ、本当にありがとうございました


どんな人にも必ず死がやってきて現世に別れを告げる
お爺ちゃんの場合、本当に天晴れでした!と心から言える
最後の日まで死を迎える人の様に感じなかったのは如何にもおじいちゃんらしいなと思う



骨折したまま退院してからは、思うように動けない自分が情けないと思うのか、どんなにか私たちに気を使っていたことか
死んだほうがマシと言っていたのは本当の気持ちにちがいないが、介護の痛みを私に訴えたかったんだと思う
反面死にたくないという思いも強く受け止めていた
治療やリハビリが上手くできればきっと良くなるとみんなで励まし続けていた
呆気なく突然の死だった



事務的なことを終えても尚、おじいちゃんの行動パターンが過りフワッと気持ちが乱れる
家のあちこちにある空間におじいちゃんの面影を追っているかのよう
当然そこにはいつものおじいちゃんの姿がない、、、(おじいちゃんはもう居ないんだ)と遺影に手を合わせ次の行動に移る
毎日の流れの中で、如何にお爺ちゃんで心が占められていたか
一度退院してから救急で入院するまでの間が一番密接に関わっていた
今思うと、この時が介護らしい介護期間だった
その状態がどこまで続くのかという恐怖心も少なからずあった

負担に感じることはそんなになかったつもりでいたのに私の神経は尖っていたように思う
亡くなって解放されたといわれても容易く気持ちをコントロールはできない

何処か空虚な時が流れ、何に手をつけたらよいのか分からなくなる
解放された様でいて心までは解放されていなくて
介護の束縛は無意識に自分の中にやる気を起こしていたのだと思う


用事を後回しにし、テレビを観て泣いて笑って、今は怠け者の時の流れに戻る
夢の中で叫んだお爺ちゃんの「コラ!」を思い出し時々反省することにしよう
背筋をピンと伸ばし、これからしっかり自己管理しなければ
お爺ちゃんのように