旅の足跡、終わります

今日は22℃〜25℃、昨夕から雨が降っていたが早朝の雨は激しかった、お蔭で涼しい一日。

今日の臨時国会衆院は解散され、10月10日公示、22日投開票という運びになるらしい。
個人に出来ることは投票に出向くこと。
小池都知事が「希望の党」なるものを立ち上げて東京をリセットもとい日本をリセットしたいのだとか、民進党は何を考えているのか果たして今回の総選挙の結果はどうなることやら。
リセットさせたい意味が分からないし、都知事としての実績は浅く未だ半信半疑、国の安全保障や経済を誰に任せてみたいと思うのかな、ゲームじゃない。呟きはここまでにして旅のつづき。

初めての体験、ウイークリーマンションでの第1日目、9月2日土曜日。

部屋の感じは良かったけれど建物が古く浴室とトイレが一緒になっているのが嫌でした。
兎に角これはこれとして一週間を無事に過ごせます。



駅から3分という好立地なので早速電車一本で妹夫婦が訪ねてくる。
駅まで迎えに行き通りにあるコンビニで食材を求めランチ&ビールで乾杯。
私たちは着いたばかりなんだけどね、と言いながらこれまでここに暮らしていたならいつでも飲んで騒いで子供の愚痴でも話せたのになどと思ってしまった。

この方法でこれからできるだけ帰って来ようかなどと考えるのでした。


この日は旅の疲れと程よい酔いでぐっすりと眠ることができました。


翌日は自炊できるように買い物ついでに街並みを散策しました。


夕方は友人に会うために札幌駅で待ち合わせ。

元気そうなのはブログを見て知ってはいたけれど、そこからは見えない話がいっぱいあって喋りまくる。


周囲の辛い変化に戸惑いながらももの凄く頑張っている。

私の頑張りはもはや過去形になってしまったか、いや今は平穏でもいつまで続くともしれないし困難は何時なんどきやってくるか分からない、その時に狼狽えず少しは冷静に考えられるように努めたい。

今思うことは、できることを後回しにしないように行動に移さねばと思います、時間は限りのあるものだから。
来年は温泉旅行を計画しようと約束して別れました。


翌4日は、両親のお墓参り。
平岸にあるその霊園はお彼岸前とあってひっそりとしていました。
車で近くまで行けるようなっていたのですが、途中の道路は補修作業の最中で係りの作業員らしき若者に「ここから入れますか?」と尋ねると「通行禁止です」と素っ気ない。
「あっちのトイレは行けますか?」と聞くと「行けますよ」と言うのでトイレのある方へ真っすぐ車を発進させた夫君、係りの若者が慌てて
「通行禁止って言ったしょ!」と大声で叫び、夫君は急ブレーキ。



この若者の言い回しが孫ちゃんに似ていたので笑いをこらえ
「行けるって言ったし、怒られちゃった」とブツブツ引き返しながらも大笑いしてしまいました。



孫ちゃんも「言ったでしょ」ではなくて「いったしょ」と「で」が無い。
これは北海道の訛りみたいなもの、私の影響か娘の影響か、単なる幼児語か、どっちなんだろう?


この日は中央区役所と東区役所を回り謄本の取り寄せ。
翌5日は海岸を散策そして大量の洗濯物をして午後には山の方へウォーキングをして近くのスーパーで生ラムを購入してジンギスカンを食す。



6日は朝から小樽方面へ向かい一日中ぐるぐる。ここでお土産のほとんどを調達。


7日は長姉の家に行って仏前に座り手を合わせました。


8日は車で妹宅へ、今度はこちらから訪ねて行きました。


9日はマンションで荷物の片付けと引き渡し、深夜に舞鶴行きのフェリーに乗船。



一週間は全くもって早い。
駆け足で書いてしまったし、今度は一か月に挑戦しようかな。


帰って来てからの生活は何の変わりもなくて、はて?北海道へ行っていたのだろうか?というくらいの気分になっている。
ここからもう少し本気出さないとね、私。


追記があるかもですが、取りあえず17日間の足跡でした。