穏やかな朝。
生協の集配が終わったところ。
綺麗に咲きほころぶ、花を眺め、たわいもない、お喋りをする。
今日もみんな元気です。
太極拳をやっているTKさんが、「この頃、人数も減り、解散するか、今年いっぱいで辞める」とか、ため息混じりに話す言葉は、何処か、まだ明るい。
TKさんの事だから、次ぎに又、健康に良さそうなものを探してくるのだろう。
それも、楽しみ。
習いものは、続けるのが大変。
どこまでいっても卒業は無いのだから。
自分で教えられる程、習得出来なければ、いつの間にか、惰性でする事になる。
最初の意気込みも、日を追ううちに薄れていく。
まして、電車に乗って行く程の価値が有るのか?疑問を持ち始めると、もう辞め時をどこかで考えている。
3年もやっていると、向き不向きが自分でも分かる。
余程、人間関係が楽しくなければ、通う意欲を失う。
だって、自発的に始めたのだし、誰に行けと言われたものでもないのだから、辞めるのも自由。
それにしても、私も長続きしない。
ご近所に誘われたパッチワーク。
これは先生が引っ越しする事で終わってしまった。
だけど、今だに趣味として出来るようになったのだから、子連れで通った価値はあった。
未だに初心者を脱しないが。
作る楽しみを覚えた。
ストレッチ、これも短期間だったが、人数も多く、楽しかった。
けど、これも先生が引っ越し。
一番長かったのは、陶芸。
5,6年、一ヶ月に2回やっていた。
陶芸を趣味と言えないのは、あまりにへたくそだし、趣味として、自分では土を一人でこねる場所も、準備も出来ないから。
要するに、気ままに出来る趣味ではない。
やはり素人は、陶芸教室に通わなければ難しい。
長くやる程、自作のがらくたが増えるいっぽうだし。
実用性は、2割?私の場合、出来た作品に納得いくものが、極めて少なかった。
これは、もう才能が無いと思うしかなかった。
最後はお喋りが目当てになっていた。
これはこれで良いけど。
仕事と両立するのもキツクなっていった。
陶芸が、いいのは宿題になる物が無いこと。
パッチワークは、殆どの作業が、家で縫い合わせなければいけない。
好きでやっているうちは、夢中に作業が進んで楽しい。
子供がウロウロする様になると、気をつけないと大変。
針がいっぱいだから危険。
そうそう、粘土もやったっけ。
これは2年くらい。
これは、先生があまりに親切で、細かな作業を一手にやってくれて、自分のものに出来なかった。
おぼつかない手つきに、先生もそうするしかなかったのかも。
先生は、今は小学校で教えて忙しそう。
未だに会うと誘われるが、遙か昔に卒業した末っ子の小学校へは通いづらい。
そして、今は専ら、PCで視野を広げている。
我が脳細胞には 湯水の様に流れ落ちる 知識の泉。
この脳裏に留まる事も少ないが。
忘却の彼方へ何度行こうとも、PCが作動するうちは、力強い見方であるには違いない。
PCくん有り難うね。