習い事は続かない。

hitto2006-10-19

穏やかな朝。

生協の集配が終わったところ。

綺麗に咲きほころぶ、花を眺め、たわいもない、お喋りをする。

今日もみんな元気です。

太極拳をやっているTKさんが、「この頃、人数も減り、解散するか、今年いっぱいで辞める」とか、ため息混じりに話す言葉は、何処か、まだ明るい。

TKさんの事だから、次ぎに又、健康に良さそうなものを探してくるのだろう。

それも、楽しみ。


習いものは、続けるのが大変。

どこまでいっても卒業は無いのだから。

自分で教えられる程、習得出来なければ、いつの間にか、惰性でする事になる。

最初の意気込みも、日を追ううちに薄れていく。

まして、電車に乗って行く程の価値が有るのか?疑問を持ち始めると、もう辞め時をどこかで考えている。

3年もやっていると、向き不向きが自分でも分かる。

余程、人間関係が楽しくなければ、通う意欲を失う。

だって、自発的に始めたのだし、誰に行けと言われたものでもないのだから、辞めるのも自由。


それにしても、私も長続きしない。

ご近所に誘われたパッチワーク。

これは先生が引っ越しする事で終わってしまった。

だけど、今だに趣味として出来るようになったのだから、子連れで通った価値はあった。

未だに初心者を脱しないが。

作る楽しみを覚えた。

ストレッチ、これも短期間だったが、人数も多く、楽しかった。

けど、これも先生が引っ越し。


一番長かったのは、陶芸。

5,6年、一ヶ月に2回やっていた。

陶芸を趣味と言えないのは、あまりにへたくそだし、趣味として、自分では土を一人でこねる場所も、準備も出来ないから。

要するに、気ままに出来る趣味ではない。

やはり素人は、陶芸教室に通わなければ難しい。

長くやる程、自作のがらくたが増えるいっぽうだし。

実用性は、2割?私の場合、出来た作品に納得いくものが、極めて少なかった。

これは、もう才能が無いと思うしかなかった。

最後はお喋りが目当てになっていた。

これはこれで良いけど。

仕事と両立するのもキツクなっていった。

陶芸が、いいのは宿題になる物が無いこと。

パッチワークは、殆どの作業が、家で縫い合わせなければいけない。

好きでやっているうちは、夢中に作業が進んで楽しい。

子供がウロウロする様になると、気をつけないと大変。

針がいっぱいだから危険。


そうそう、粘土もやったっけ。

これは2年くらい。

これは、先生があまりに親切で、細かな作業を一手にやってくれて、自分のものに出来なかった。

おぼつかない手つきに、先生もそうするしかなかったのかも。

先生は、今は小学校で教えて忙しそう。

未だに会うと誘われるが、遙か昔に卒業した末っ子の小学校へは通いづらい。


そして、今は専ら、PCで視野を広げている。

我が脳細胞には 湯水の様に流れ落ちる 知識の泉。

この脳裏に留まる事も少ないが。

忘却の彼方へ何度行こうとも、PCが作動するうちは、力強い見方であるには違いない。

PCくん有り難うね。