札幌は今日から雪祭りだと妹からメールが来た。
会場も妹の住む近く、あいの里にも設置され賑わっているのだろう。
暖冬でマイナス気温が定着しないので、雪像のあちこちから、しずくが落ちているのでは?と いらぬ心配をしている。
小学生の時は全校生徒が、必ず歩いて見学に行っていた。
そして必ず絵を描かされたものだ。
昨日の読売新聞、朝刊(大阪版)心に届いた言葉(川崎 純性さん)に「時は生命」というのがあった。
この言葉を師僧である父親から教えられ、「私もやがて死ぬ」と言う自覚とともに生命の輝きがあらためて迫ってきたという。
死には時が介在する。そして、健康な若者も美しい花も時を与えると老い、枯れるということ。
「諸行無常」の考えでした。
人は時間を大切にしないといけないと言いますが、それは生ぬるい。
時は生命、すべては命がけでしなければいけない。
だが、人は普段はこのことを忘れてサボってしまう。
ただ、この後の文は私とは全く違う。
この方は住職さんで、自分の楽しみはもうよいと悟りをひらいているのだけど。
私が引っかかったのは、全てが命がけでしなければいけないということ。
そのうち本当に死んでしまうかもしれないという恐怖。
反面この先が輝いたものに見えないから、自殺者が後を絶たないという現実。
しかも低年齢の子供達が痛ましい。
死を選択するのは、心が死の病に犯されているのか。
自分自身の未来は自分の価値観で切り開かなければ、皆が皆同じではない。
人の数だけ進む色の数があるはず。
途中にいくらでも落とし穴があるが、そこからはい上がる事こそ命がけで行うものだ。
自分が不幸だとは思わないが、恐怖の落とし穴に不安がって毎日暮らすのも馬鹿げた話だ・・・そう開きなおる方が未来も輝きだす。
どういう形で死と隣り合わせになるのか見当もつかないが、常にそこにあるものだと、日々の暮らしの中でさえ思い知る。
世の中で一番大事な生命の重さを少し考えさせてもらえた。
必ず死ぬという未来に、悔いが少しでも残されぬように生きたいものだ。