胃ろう

hitto2010-08-30

8月も後2日、連日の猛暑は衰えることがなく、今日も記録更新の予定・・それでも日が沈んでからの外の風は意外に涼しいと感じるようになりました。


ここのところ、さっぱり夢を観ないのは、眠りが深いため覚えていられないからか。
慢性睡眠不足で朝は相変わらず起きるのが辛い。
安部公房さんの「笑う月」夢の話を描いた短編集が偶然話題になって、観た夢を忘れないうちに床のそばにテープを置いて録音していたんだって・・・と、そんな話をしていたからか、久しぶりに夢を観た。
実際夢から覚めた直後というのは夢を反復して覚えたつもりになっている・・が、時間とともにあっさり忘れるってことが何度もあるので、もしも録音できたら夢判断だって正確にできたりするのかも。
夢の断片を思い出すと、現実に頭を霞めた出来事に由来している。


先週、終戦記念日にあてたスペシャルドラマだった「帰国」をやっと観て、感想を書く気力と時間がなかった。
久々の倉本作品で、観ないわけにはいかないと期待していたドラマでした。
サイパンで戦死した軍隊の一行が駅に降り着く。
65年が過ぎ、英霊となって現代の日本に戻ってきた兵隊さんが、今の日本をどう思うのか・・倉本さんの思いが詰まった作品でした。
一番胸に迫り、夢に出るほど引っかかった場面だったのは、北野武さんが延命措置で何年も生かされている妹と対面したシーン。
そして数日前の新聞の切り抜きで、それは胃ろう拒否を書いていた記事で、きっと頭の隅に。
それが自分の父親の胃ろうに結びついて、夢になって出てきたのです。


脳梗塞で倒れた父は、重症で家族の意向を聞くまでもなく胃ろうの処置がされた(医者は聞いたに違いないが、全てに承諾するしか知恵がなかったと思う)
胃ろうの管を通された父の姿が痛々しく哀れで仕方がなかった。
朦朧としながらも本人の意識はあった。
何度も自分の手で胃ろうの管を抜いてしまうので、仕舞には利き腕をベッドの脇に縛られていた。
私は可哀そうで、父の顔を見るといの一番で括った紐をほどき、手を握っていた。
胃ろうも延命措置に違いない。
もう僅かないのちだと知って、胃ろうを拒否することは考えられなかった。
けれど、亡くなって時々思う。
胃ろうの措置はきっと本人は受けたくはなかっただろうな・・と。
元気なころは、思い残すことは自分にはないと何度も冗談のように言っていたし、倒れて言葉も発せない自分が惨めだったと思っていたのでは・・と見舞いの度に感じていた。


その結果、一月後に母が心筋梗塞で倒れ、母よりも長生きすることになったのでした。
母も延命措置で半年近く永らえた。
本人の意思はどうだったのか、吸引の辛さなどひとごとのように見ていた。
いや、辛かった、辛くて辛くてしかたがなかった。


倉本さんの作品は尊厳死を提唱するものが多かったと思う。
風のガーデン」だったか、自宅療養のお爺様が亡くなって、見守る家族が手を叩いて看取っていた場面が印象的だった。


すでに自分に置き換えて考える歳になったということだろうか。
延命措置が無駄と言うには、まだ自分に甘えがあるから言えないでいる。
延命措置を望むのは遺族の方で、別れを引き延ばすことに何か意味を持つものだと思う。
勝手な考えだ。
延命措置を望まないのなら、普段から意思表示をしておくことが大事だと思う。