6日目

hitto2011-03-17

新聞、テレビは福島第一原発のニュースをトップで扱っている。
今朝はヘリコプターから放水し、その映像が何度も繰り返し放送された。
原子炉丸ごと海底に沈めてしまいたい思いだ。

放射性物質が外部に流れ出すことを避けるために現地の方たちは命がけで働いている。
本当に頭が下がる。
不眠不休の作業が1週間も続く、炉内を冷却し仮に巧くいったとしても、使えなくなった原子炉の撤去作業まで、またどんなに時間がかかるのだろう。
想像しただけでも気が遠くなりそうだ。
避難住民は家に帰れる日が来るのだろうか。
ニュースでは原発の仕組みの学習を毎日強いられ、嫌々勉強させられている子供のような気分になる。
それでも事態が悪化しやしないか、やはり気になりニュースばかり見ているのだけれど。


夫の帰宅第一声は「ただいま」ではなく「(原発に)変わりがないか?」という心配が先にあるようで、テレビばかり見ている私に尋ねる。
夫は東京にいる長男までもが被爆の危険に晒されていると勘違いしている。
私も水素爆発の時には大ごとだと騒いでしまったが、原子炉の運転がとまり何日かは冷却できていること、一日ごとに燃料棒の熱量が減って冷却水がゼロになったとしても核燃料が溶ける2300度までの温度にはならない・・という、何日か前の新聞の記事を読んで少し胸を撫で下ろしていた、それでも・・・マイクロシーベルトからミリシーベルト放射線物質の観測の濃度単位が上がると、どのくらい上空に放出されているのか本当に気がかりだ。
「止める」「冷やす」「閉じ込める」の、まだ第2段階のところで難航している。


それにしても、今日の段階で2000ヶ所近くの避難所、それに30万人以上の避難者、死者行方不明者の数は1万5千人超と、その殆どが死者との対面が果たせずにいる。
何という試練、何という悲しみ、普段の生活と何ら変わりのない私でさえ打ちひしがれ笑うことを忘れて何からも楽しむことができないでいる。


テレビで広島原爆の写真を見た時に、荒廃した地で遊ぶ子らの写真を収めた写真家が子供の遊ぶ姿を見て、希望を持って自分たちが立ち上がらなければと思ったという。
今回の避難所でも多くの子供たちが困難な生活を強いられながらも遊んでいる姿を見ることがある。
津波の翌日には私と同年代の女性が「泣いてなんかいられない」と大勢の食事の準備をしていた。
着の身着のまま避難した女性は、同じ被災者の中学生に防寒着をもらい、「有難いね」としみじみ語っていたり、励ましあっている。
それぞれが大変な思いをしている人に思いを寄せる。

お互いさまで、支援の輪がひろがり、救援募金がアチコチでされている。
企業や有名人の大型募金には敵わないが気持は皆同じだと思う。
ネットを開くと、日本人を称賛する記事にも出合う。
薄情だと感じていたのは、互いに問題がなかったからだ。
こんな非常時にはいろんな優しさを見せているのが嬉しい。


自衛隊、警察、消防隊員、東電の方々、政治家の人たちまでもが自分の家族を置いて必死に働いている。一丸となって復興に力を注げば笑える日はそう遠くはないと思う。
厳しい寒さの中、水を貰う為に列をなす人々、ベッドの上で身動きがとれない人、家屋身内をなくした人、どうか踏ん張ってください。