早、12月!

hitto2011-12-02

書き出しがマンネリだけど、早いものでもう12月です・・あれよ、あれよ、という間に年を取ってしまう。
恐ろしや。

私は2月生まれの早生まれなので、自分の誕生日が来るころには同級生の殆どが年上になっていて、三十の節目や四十の節目ごろに歳の話題になると、特に得したような気分になっていたのを思い出す。
女性は少しでも若いと嬉しいものなのだ。
けれど、50代に入ってしまうと何だかどうでもよくなり、大雑把な括り(見た目)で納得してしまう。 
今は年金受給年齢以外に実年齢などにこだわる意味がないことを知る。



女を諦めたわけじゃ決してない、若く見られたいという思いは今も変わらないし、年上でも年下でも素敵に歳を重ねている人なんかを見ると、自分も少しでいいからそんな女性に近づきたいと思う。
50代に入ると年齢を言うことも聞くことも殆どないようになってきて、見た目で判断するしかないようです。



同級生や、子供の学校関係までの交流のあるお母さんなら、だいたい知っているけれど、10歳以上20歳以上の方になると、聞いてびっくり玉手箱のような誤算がままあって、妙に考えさせられる。
世の中には吉永小百合さんのような人も実際いるものだ。


ちなみに私、ジョブズ氏と生年月日が全く同じだと遂この前知ることに・・単なる偶然ですが、これも聞いてびっくり玉手箱。

年賀はがきの売り出し日以降か、ポツポツと郵便受けに喪中のはがきが舞い込んできている。
今年喪中になった人の多さは、戦後一番の年かもしれない・・などと思いながら、私に災害で亡くなった知り合いはいないものの、今年の喪中のはがきは、10枚と結構多い年となった。
親が健在なら80歳前後か、それ以上。
夫婦で4人の親子関係だと平均的なのだろう。



子供や兄弟などと若い人の死を知ることは、何年も会わない知り合いのこととはいえ、急に懐かしい顔が思い浮かび、胸が苦しくなったりする。
すぐに会って話せるものなら、深い悲しみにふれ、そこから抜け出せずとも隣に寄り添うことはできたのに。
時が隔て掛ける言葉もないままに、一枚のはがきは重い悲しみに束ねられ沈んでしまっている。
いつもと同じ、時は流れ、外の世界で何が起こっていようが、私は私の目の前にある仕事をして今日を終える。
少し感傷的になってしまった。


早く年賀状の準備をしなければ・・・。