姉宅〜日光〜

大阪20℃〜22℃。この連休は、だんじり祭りや各地楽しみにしているイベントが多いのに、列島をじんぐり巡る台風一過を堪えて待つ。
それでも予定は変えられない、夫君は婿君が慰安旅行でいないので長女と孫ちゃんをいそいそお迎えに向かっています。
先日のつづきを。
靖国神社を後にして姉宅へ。



日曜日とあって姉夫婦と娘ちゃんの息子(孫)二人が待っていてくれました。
姉の家に着くと玄関にはナスやキュウリが植えてあり、ガレージの向こうには花が植えられていた、玄関を入ると真新しい廊下が広がり居間にはパソコンデスクと散りばめられた手芸の数々をさり気なく飾っていた。
リハビリなんだよと言いつつも出来ることに挑戦しつつ楽しめることを見つけたようで病後の生活が垣間見られて安心しました、と同時に自分は?中途半端になった作品を長いこと放置している。

自分も頑張らなくちゃと良い刺激を受けました。

持参した土産以上の土産を車に乗せて姉夫婦に見送られ日光東照宮を目指すことに。


夫君が行ったことがないというのと、一日も早く涼しい北海道へ向かいたいが為に、新潟から苫小牧のフェリーに乗ることを決めたので、位置的に日光へ寄るのもいいかなと。
妹からのラインメールで日光の街道を通過するようにとのお達しでパワースポットである街道を何とか歩いてきました。

世界遺産になっていることもあり流石の見応え歩き応えがありました。
これは後10年もすると休み休みかあるいは歩くことを断念せざるを得なかったかも。
こうして楽しめるのも健康のお蔭、見ざる言わざる聞かざるを時と場合によって使い分け、賢く健やかに暮らせるよう両手を合わせました。


日光東照宮を抜けて車は中禅寺湖へ向かいました。
とにかく道はうねり峠はカーブが多い。
中禅寺湖は涼しく気温18℃までに下がっていました。
これなら車中泊もできると、「望郷の湯」に浸かり食事をして一泊。

日光で掻いた汗も引き峠越えの後の温泉は格別でした。


食事はだいたい道の駅で済ますことが多く日持ちのする土産を買い求め、点在するコンビニで調達することで節約、節約。


そうそうこの日の早朝に「Jアラート」で起こされたのでした。
すると前日のハードスケジュールで朝までぐっすりだった夫君が「訓練の知らせか?」とそわそわ。
メールをよく見ると「訓練じゃないよ」こんな時、どこにも逃げようがない、なんて人騒がせな北朝鮮


目覚ましのアラームのように皮肉にも「Jアラーム」によって身体はスッキリと起きることができました。
望郷の湯を出てひたすら新潟方面を目指します。



29日深夜出港、車は夕方には新潟港へ到着。
夏休みにしか乗ったことがなかったフェリーからは考えられないほど人はまばらでした。

あまりに早く着きすぎたからかもしれない。

フェリー乗り場で夕食をとって船内に持ち込む荷物を整理。

翌朝は案外と船内を人が行きかっていました。
ビンゴゲームを楽しみ映画を楽しみお風呂に入ってゆっくりと過ごせました。
波は1メートル以内と穏やかな揺れ、海と空はどこまでも広く身も心も解放された気分になりました。


北海道が近付く、続きは後日に。