27日、伯父さん亡くなる

火曜日の朝、路上が濡れていた。
深夜から雨が降っていたせいだろう。

月曜日は、クーラーの取り付けに、電気屋さんが、7時近くにやって来たので、夕飯が大幅にずれた。
しかも、一人で作業をしていたので、夫が見かねて、重い荷物を運び、手伝っていた。

今が、稼ぎ時ではあるが、あまりにも、ハード過ぎる。

電気店に文句の一つも言って上げたいが、黙々と作業をする、働く人の身になると、世の中の厳しさに、歯がゆい思いで一杯になる。

楽をして儲ける人間は、わんさかいるのに、是ほど、きつい労働をしても、割に合わない賃金しか、貰えない人も沢山いる。

どうにか、8時半頃終わった。

この後も、クーラーの取り付けを待たせていると言う。

大変な仕事だ。


新品のクーラーは、10年経った壁に、白く眩しく、一際目立たせ、食卓を見下ろしている。
これで、夏の暑さ対策は、万全だ。

おじいちゃんには、作業の時間が掛かりそうだったので、8時前に部屋へ食事を持って行った。

私に対しては、さほど、怒っている風でも無かったが、夫に対しては、冷たい態度でいたらしい。

夕飯を何時まで待たせるのか?とでも言いたそうだった。

夫も自分のせいで、取り付けが、遅くなった訳ではないので、空腹も手伝って、随分、憤慨していた。


木曜の朝、ガレージ側の外は、昼間の直射が嘘の様に、さわやかな風が池の方から吹いていた。

部屋の中が、あまりに暑く、汗ばんでいる為、身体に風を感じると、涼しいとさえ思える。
最低気温28度って、じゃあ、昼過ぎには、もう30度になっているだろうか?
外で労働している人達にとっては、命にかかわる。
夏は、始まったばかり。
茹だるような暑さ。


27日、遅く(12時頃)九州の伯父さん(90歳)が8時50分に息を引き取ったと、電話が入った。

おじいちゃんは、既に寝ている時間だったので、明日の朝、亡くなった事を伝えることにした。

29日が通夜、30日、日曜が、告別式という事だったので、その場で、夫が行くことに決めた。
まさか、おじいちゃんは行けない。

28日、朝7時、おじいちゃんが、水撒きをしていたが、呼び止めて、伯父さんが亡くなった事を伝える。

声が詰まり、おじいちゃんの悲しみを考えると、涙が出た。

だが、気丈なおじいちゃんは、ああ、そうか・・・と冷静。


肺ガンと聞いて、自分も肺が、侵されていた事とだぶり、同じ様に病と闘っていたんだと、自分が今、元気を取り戻したことに、複雑な表情をして見せた。

一人で泣くのだろうか。

午前中に保健婦さんが、来る事になっていたので、忙しく、頭を整理している様だった。

パンを食べ終わって、九州に電話を入れたが、あちらは、取り込んでいる様子で、話半ばで電話を切る羽目になったらしい。



喪服を出さなくちゃ・・・29日きょうは晴れ。

天気予報は、まだ梅雨明けを宣言していないが、もうしても良いでしょうと言う晴天。

昨日は、あまりの暑さで、日が沈むのを待って、夕飯が済んでから、買い物に出掛けた。

夜遅くまでやっているスーパーなので、ゆっくり買い物をした。

今朝は、6時に長男が駅まで、ワゴンRを運転して、夫を送って行った。


帰って、すぐ長男は寝ているけど。

タクシーを使う思いをしたら、やっぱり有り難い。

帰りのお迎えは長女の担当だ・・・ドキドキ。


夫も久しぶりの新幹線だ。

親族達に会うのも久しぶりの事だと思うが、まるで、親族関係(自分の)に疎かったから。

おじいちゃんの代わりが努められるか・・・少し心配。



殆ど、九州と大阪では無理もないが。

幼い時の行き来も、あまりしてになかったし。

自分達の生活を優先するしかなかった時代だったと思う。

皆、切りつめて暮らしていたのだから、そう度々、帰れるものでもない。


それに控え、我が家の子供達は、何度も大阪、北海道を往復している。

当然、従兄弟達にも会っているので、札幌は第2の古里だ。

無理をしても、我が儘に帰る事が出来ただけ、幸せだ。