祝い酒?

hitto2007-02-24

50代になって、早2年。

特別な感動も無く、当たり前に月日の流れに任せて、ここまで生きてきたという感じ。

一見何事も無く流れた月日が、如何に大事だという事も踏まえて、今後の暮らしが喜びに満ちたものなら、申し分ないのだが。

そうは問屋が卸さないだろう。

山あり、谷ありの道だから楽しくもなるのだろうし。

人としても成長出来るのだから。

退屈な道には、苦悩も無いかわり、充実感も得られない。

苦労の上の幸福は、喜びも達成感も大きい。

何語っているのか・・・。


今の身の上では、毎日が見えない何かに追われている様で、個人としての「ゆとり」と言うものがない。

ここ暫くは、一日一日が、一杯一杯で突き進むしかない。

時々、息抜きに旅でも出来れば、上等。



家族同伴で旅行に行ったのは、もう5年も前のことだ。

父親の一周忌に札幌へ行って、この先、家族で北海道旅行も出来ないだろうと、考えたからで、道東を中心にワゴン車であちこち回った。

案の定、あれから行ってない。

北海道へフェリーで行くのもそれっきり。

子供も成長し、ワゴン車に子供三人乗り込むのも限界だ。


今度は、お父さんと二人で、ゆっくりワゴンで回りたい。

札幌から大阪に落ち着く時にも、車で、10日間程かけて大阪にやって来た。

今思うと、もっと日数をかけて丁寧に回りたかったが。

なんせ、親離れ出来ない私は、札幌を後にした時点から、事有るごとに泣き通しだったから。

ご当地の景色も、通り一遍だった。

我ながら、親離れの出来ない娘だった。

それでも、20歳から家を出て自炊していたのだから、自分の中でも驚きだった。


親元へすぐに行ける距離では、自立心にも欠けていたのだろう。

可愛い子には旅をさせろとは、よく言ったものだ。

親のスネも囓られ放題にそばに置くことは、何も子供の為にはならないよね。

親はたちまち老年になって子供と立場が逆転する。

そうなる前に、巣立ってくれないと。

寂しいなんて、言ってられない。

親と子の同意で、親元を巣立つのが理想。

形は結婚だろうが、仕事だろうが、どちらでも良い。


又、話が脱線したが、52歳になって思った事に違いはない。

やはり、私個人の事は二の次で、もう暫く子供やおじいちゃん中心の生活を続けざるをえない。

それには、お父さんの健康と頑張りがなければ。

サポートするのは言うまでもない私の役目。


・・・毎日、毎日、食事の用意に悩まされ、これは、ある意味、幸せな事?

きっとそうだろう。

こんな平凡な悩みこそが、一番幸せな時期にいる事だと思う。

皆が元気でいるという事、それ以上の幸せがあるわけが無い。

何かを無くした時、きっと、今の幸せな時期を、ああ、あの時は良かった、と思い出すのかも知れない。

だから、贅沢は言わないで、食事の用意をしよう。