親の張り合いでしょうか?

hitto2007-07-22

一昨日は、ワゴンRで長女が出掛け、雨が激しく降る中、11時頃まで帰らなかった。どんなに心配したか。電話や、メールを入れるのも運転中だと思うと、気を使うし。
何週間振りに運転する未熟な技術の上、雨降りという悪条件。気を揉まない親などいないだろう。電話にビクビクしながら、もし何かあったら・・・缶ビールを飲んでしまったお父さんは迎えにいけないから、タクシーで長男に行ってもらおう、とか何も起きないうちから悪い方へ想像を巡らしていた。
親とは因果な商売。
心配と不安がいつも同居している。子供の明るい顔で、それも吹っ飛ぶのだけど、心臓には良くない。
そして昨日は長男。12時を回っても帰って来ない。こちらは、運転の経験も積んで、事故の恐怖も思い知っている。帰りを待たず不安を意識して払拭させ、寝ることにする。寝ながら、神経は玄関先の物音に集中しているが、いつしか眠り朝を迎える。
これも幾度と繰り返し、慣れてしまうと、親の気持ちが及ばないことだと居直ってしまえるが。
安否を気遣うのは、この命が果てるまで続くのだろう。

なんと、親とは有り難いものだと、自分の身を置き換えて、思いが今は亡き父母へ。
子供(私)にとっては、夢中に過ぎる暮らしが精一杯で、親の心、子不知のまま振り返ることをしない。いや、しなかった・・・が、確かに数々の不安を晴らす、父母の心が思い出される。
取り立てて不幸を重ねなかったことが、応えることの出来なかった娘の心を 唯一救ってもいるのだが。
だが、親の寂しさを埋めることは出来なかった。
後年「もう、いつ死んでも良い」と口癖のように言っていた言葉に対して、やり遂げた親の幸福感の裏返しだと、楽観的に感じていたが、今更、考えても夫婦揃って、早過ぎた死だった。
僅かでも不幸を持ちかけることは、親にとっては、張り合いになり得ることだったのかも。
過ぎた日に戻ることは出来ないが、いつまでも心配の種を撒き散らす子等を見て、親孝行と知ってか?知らずか?張り合いを沢山貰っていることに気付かせてくれる・・・だけど「いつ死んでも良い」とは当分言えない。

読売新聞   Y&Y
クロスワードの答え・・・ザトウクジラ
数独の答え・・・9+4=13・・・13