23回目の命日・・・

hitto2007-08-18

Sleipnirの天気画面は、午前10時半現在、31度の気温・・・最高気温の予報は、36度・・・もっと上がりそうな外からの温風を感じながら、パソコンの前に座ってみる。
朝の洗顔は、水道のぬるま湯で充分だ・・・って、そのまま浸かってもよいくらいな温度まで上がっている。
この暑さも、もう暫くの辛抱です。


今日は、お義母さんの23回目の命日。
ショッキングな最後だった。


お盆休みが始まって、私と夫と長女で、始めてのキャンプに出掛けた。
夕方遅くに出発を予定していた私達は、出発前に実家へ寄った。
お義母さんは、ご近所に大きな話し声が響かないように気を使っているようだった。
にこやかに静かに、お義母さんが、こちらの車が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。「気をつけて、行きいや」と多分言っただろう。

14,15,16日 晴天続きのキャンプを終えて無事帰って来た私達は、そりゃ恥ずかしいくらい真っ黒に日焼けしていた。
肌をヒリヒリいわせながら、翌日(17日)気持ちばかりの土産を持参しようと、実家に電話を入れた。
受話器にお母さんが出て、「有り難う・・・でも、昨日お向かいの○○さんが亡くなって、今日がお通夜なんよ。お手伝いでずっと行ってなあかんから、葬式が終わってから来てや」それは、大変だと察したが、会場を借りずに、家であげるお葬式がいかに手間がかかる事だとは、その時は全くの無知だった。
昔は、結構自分の家であげる人が多かった。
親しいご近所なので、その日は、引っ越しして行った懐かしい顔が揃い、夜遅くまで、アルバムをひろげたりしながら、昔話に話が弾んだらしい。
手伝いは、お義母さんの家の台所を提供して、幾つもの総菜を夜更けまで作っていたようだ。
○○さんの告別式の朝、睡眠不足のお義母さんは、いつもより早く(5時か?半頃?)起き朝食のお世話をするはずだった。

朝の洗面所で、お義母さんは、突然倒れた。
水道栓は、開きっぱなしで、おじいちゃんが発見。

私達が電話をもらったのは、病院に運ばれ、着いてからだった。
6時過ぎ、着の身着のまま、言われた病院まで私達は駆けつけた・・・まだ、亡くなったとは思いもしていなかった。
廊下で、おじいちゃんと義弟君が狼狽えている。

警察の検視が始まって原因を調べているようだった。
診断は、心不全・・・後から考えると、太ってきたこと、疲れやすかったこと色々な変調があった。
でも、まだ63歳の若さだった。
お人好しで、近所の人達からも慕われていた。
あまりに突然の死に、誰もが打ちのめされて、心の整理が出来ない。
私の生活も一変した瞬間だった。
近くの親戚も集まり、葬儀の手配が始まる。

お向かいは、その日が告別式。
皮肉にも、その日に自分の通夜(葬儀場で)が行われるなんて、お義母さん本人が思いもしないことだ。
お向かいの○○さんもとても気兼ねした様子だった・・・が、お義母さんなら、逆に「ごめんなさいね、私がこんな事になって」と言いそうだ。

おじいちゃんも、何一つ恨み事は言わず、耐えていた。
自分を責めていたのかもしれない。


まだ現役だったおじいちゃんは、後一年(65歳)で仕事から引退して、後は、お義母さんと楽しむはずの人生を考えていたのだ。

突然の死は、送る者の心に残酷な後悔の思いを残していく。
何もして上げられなかった思いだけ膨らみ、遺影にうなだれるだけだった。

あれから、23年・・・家族も増え、ずっと見守られているのだろう。
お義母さんの分もおじいちゃんは、家族に囲まれ長生きしてますよ。
合掌・・・。