昭和歌謡黄金時代・・・

hitto2007-08-17

日頃出来ない有意義な事に時間を使いたいのに、だらだらと時間に追われてしまう。
日中の暑さは異常だと感じさせる数字にまで上がり、さぞかし、40、9度の記録更新をした地方は、「そうなの?」と笑うしかない。
命に関わる熱中症で、昨日は甲子園の救護室も満杯だったらしい。
この暑さの中、寝ているだけでも、熱中症になる。
学校のクラブ活動で亡くなった子は、可哀想だ、何とかならなかったのか。
お父さんの車も昨日は40度を示していたと・・・その数字を見るだけで、気が遠くなりそうだ。帰って来るなり「死ぬぞー!」とぼやいていた。
頭がぼーっとして、直射日光の前では立ちくらみがする。食欲も無くなり、水分ばかり補給しても、下痢を招く。家のなかで、パソコンにばかり向かっていると、頭痛がしてくるし。どうやって、やり過ごそうか?こんなに暑いのも今月一杯?・・・朝晩が凌げると体調も良くなる。クーラーの効いた部屋も決して快適ではない。
長男もバイト先のクーラーで風邪をひいてしまった。長女も鼻風邪。
クーラーを嫌ってたわりに、体調を崩してしまい、今日集めた各部屋のゴミ箱は、ティッシュの山だ。


昨日は、NHK、BS2の『中村八大さん&いずみたくさん』にスポットを当てた「昭和歌謡黄金時代」再放送を見る。(BS2の番組は、よく見逃してしまう、今回見られて良かった)
昔の映像を使って流してくれたので、ステージ101の最終回が流れた時は、タイムスリップしたようだった。 確かに私は、この映像をリアルタイムで見ていた。大好きな番組だった。
洋楽もたくさん取り上げてくれていたし。中村八大さんがプロデュースしていたとは、知らなかった。
それにしても、今更ながら、お二人とも偉大な作曲家だったんだ。

二人は、一歳違いの誕生日で、亡くなったのは一月違い。ほぼ同じ時代に活躍した二人の作曲家の名曲を当時の映像を流しながら対比する感じだった。
どちらかと言うと、いづみたくさんが、中村八大さんに追いつけ追い越せと作曲活動に励んでいたようだけど、互いに受けた影響は大きかったのだろうな。

九ちゃんの「上を向いて歩こう」(八大さん作曲、永六助さん作詞)は、この映像が定番だろうか?何回か見ている。他の中村八大さんの名曲でオンエアされたのは「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ、「ウエディング ドレス」九重佑三子、「見上げてごらん夜の星を坂本九、「黒い花びら」水原弘、「遠くへ行きたい」ジェリー藤尾、「涙をこえて」ヤング101、「世界の国からこんにちは」三波春夫、「帰ろかな」北島三郎、「涙」雪村いづみ・・・等だったか?
いづみたくさんのオンエアされた名曲は「世界は二人のために」「いいじゃないの幸せならば佐良直美、「ふれあい」中村雅俊、「手のひらを太陽に」ボニー・ジャックス「女ひとり」「いい湯だな」「筑波山麓合唱団デューク・エイセス 、「恋の季節ピンキーとキラーズ、「希望」「夜明けのうた」岸洋子・・・だったかな?
筑波山麓合唱団」と「涙」以外は、みんなカラオケで歌える・・・(巧い下手は別として)、10代だった私の耳に焼き付いている。