今日の日差しは暖かい、あちらこちらの家庭で布団を干していたのを買い物に行く道すがら見られた。
それでも最高気温10度くらいだというから、そんなに高い方というわけでもない。
ガラス越しのこちらの方が随分と暖かい。
買い物中から、ベビーカーに座らされた赤ん坊が大泣き、お母さんは困ったという様子でスーパーを出ていった。
その後ろから私は自転車で追い抜いたが、100メートルほど離れても、その泣き声が響いていた。
どうすることもできないお母さんの嘆きが痛いほど伝わってくる。
どうか、子育てを放棄しませんようにと、我が娘の姿と重ねていた。
結婚も子どもも、背負いきれない苦労があったりする。
今日の編集手帳(読売)中村八大さんが22歳のときに書いた日記から・・「中村八大は誰よりも苦しく、誰よりも幸せでなければならない」
編集者曰く
「幸」と「苦」がならんでいるところがよい。
子宝に恵まれた人には、親ならではの苦労を背負う。会社で昇進した人には、それだけ重い責任がのしかかる。幸せには、もれなく同量の苦しみがついてくるのかも知れない。だから田中投手の何億円分の期待は見当もつかないが、想像もできないほどの重圧があって、眠れない日もあるかもしれないと。目標は「世界一」と語った田中投手へ、上を向いて歩こう!と締めていた。
苦しさと幸せは合わせ鏡なのだろう。
昨日と今日お爺ちゃんはデイを欠席して部屋に籠ったまま。
「別にサボっているわけではない」と、自ら要らぬ言いわけをしていたが、お爺ちゃんの中では、「サボり」と見られるのが兎に角嫌らしい。
まさか、サボりだなんて思う筈もないし、サボったところでデイは自由参加、気が向かなければ休んだらいい。
今になって不登校の親の思いになるとは思わなかった。
既に私は不登校、サボりの親としては我が子で経験済みだから、何とも思わないが、優等生という枠を外れたことへの後悔が何となく見てとれた。
だからというわけでもないけれど、今日は朝のテレビ小説さえ観る気がおきなかったのか、炬燵に入ったままうつむき加減
「頭が重く具合が悪いので今日は行かなくて正解だった」という。
「具合が悪いのならば、食べられる分だけ食べてから、朝の薬を飲んで横になって休んでてね」と、私はできるだけ優しく言った。
お昼、案の定ベットに伏している・・
「お爺ちゃん、大丈夫!?」と、起こしても返事をしない。
今度は肩をゆすり
「お昼だから、炬燵に準備してあるから食べてね」と言って消化に良いものと思い雑炊の小さな鍋を置いた。
お昼にもお昼の薬があるので、少しでも食べて、それから休んで欲しかった。
雑炊の鍋を片付けに行くと
「これだけ食べられるから、大丈夫」といって、全部平らげていた。
心配無用とは思うものの、昨日のことが蘇る。
丁度昼食が終わった時に
「・・・土曜日検査に行こうね。結果がわからないので、取り越し苦労はしないようにね」
確か、こんな風に言ったと思う。
「取り越し苦労」という言葉があまり良くなかったのか、されど癇に障るほどのものでもないと思う、というか私はその言葉を発したことを全く気に掛けず、午後の時間、ちょうどこのブログを書いて遊んでいた。
午後4時を過ぎたころ、3時間は経っていた。
ドタン!バタン!アホか!とか、何か。
お爺ちゃんが呼ぶことがあるので、いつも居間にいても私は静かにしていた。
なのでよく聞こえていた。
「何か言った?」と、階下のお爺ちゃんの部屋に行くと、バタンとあまりに強く引き戸を閉めたので扉は反動で10センチほど空いたままになっていた。
「何をそんなに興奮して怒っているの?」
「しかじか、しかじか・・先行きが苦労とか言った」と、何故か「取り越し苦労」という言葉自体を忘れているし、なのに怒っている。
私は狐につつまれたような呆気にとられていた。
このことは説明すればすぐに誤解は解けたのだが、最後は
「すまなかった、大きな声を出して悪かった。息子(夫)には言わないで、何もなかったことにしてくれ」と、2度私を呼んでは念を押され、別にいいか・・と、当然話しちゃったけれど。
ホンの少し、不安があるのです。
本人が言うように、転んだ時の記憶が自分で説明ができない。
躓いたわけでもなく、脳梗塞のような痺れがあるわけでもない、が脳を診てほしいと。
転んだ後の脳ではなく、転んだきっかけとなったのは脳じゃないかと。
記憶力も良いし、計算だってできる、話し合うこともできるので、心配はいらないよ、とは言ったものの。
興奮状態になると、あわあわと言葉にならないし、気に入らないとその場で怒るのがいつものお爺ちゃんだったのに、何か変だな、と思うのです。
検査結果が「良」とでれば、またいつものお爺ちゃんに戻ると思うのですが。
なんだか書いて、スッキリしました。