ダラダラと・・・・・

hitto2007-10-25

何日前か?新聞(読売)を読んでいて、興味深い記事が・・・
直木賞作家の松井今朝子さんの言われた言葉だった。

これはブログにも通じるのでは?と思った。

小説は、作家のものだというのは、間違いではないか。と言っていた。漱石の本を読んでも実は漱石ではなく、自分の本を読んでいたのでは?「山」という言葉から、多くの人は、「富士山」と考えるだろうが、自分は「東山」をイメージすると。

言葉によってイメージされる世界は、人によって違っている。ゲームだと、あらゆる可能性があるように見えて、数少ない選択肢の中で遊んでいるのかもしれないと。書いている人も想像して書くが、読み手も想像力を膨らませ自分の気持ちをのせて読んでいく。だからこそ、楽しいんだと。

誰にでも公開しているブログも、まるで自分を主人公にした小説のようにも見える。
自分のブログであっても、読み手にすると言葉の捉え方にズレが生じる。
私は、その目の視線を、自分なりに想像しながら拝見している。
日毎更新される文章は、延々と続くプロフィールのようなものから、哲学書みたいなものまで。時に喧嘩のようなコメントのやり取りには、目を覆いたくなるが、まるで見えない相手に呟いてもナンセンスな気がする。

ただ、目に見えない感情が温められたり、現実には、出会うこともあり得ない人と交信出来たりと楽しさの点では、小説よりも面白い。 時には(素人の)文章に矛盾があったとしても構わないと思うし、内容だって、歳のせいにしたくないが、重複していたりする。
書く方は、気持ちを解放させたいだけなのだから・・・

名前を公表しないブログは、書き終わった時点で、それを読む相手のものだという気がする・・・どう想像を膨らませても良いのだろうし、解釈は読む方に委ねられるのだろう。
文章の巧い下手は、この際「そんなの関係ない〜オッパッピー!」だろう。
巧みな文章は、プロに任せて、きょうもダラダラと。