映画・・・「秋のソナタ」(1978)

hitto2007-12-17

昨日、寒空の中、友人Tと猫の額ほどの狭い花壇の植木を伐採・・・or雑草の除去等々・・・植木の手入れは、腰にくるもので、今日の掃除も普段通りが精一杯・・・で、その後は一休み、一休み。

先週、録画再生して観た映画、「秋のソナタ」(1978)のことでも・・・かなり重い・・・

ノルウェー僻地の牧師館で暮らすエヴァ(娘役・リヴ・ウルマン)とシャルロッテ(母親役・イングリッド・バーグマン)ピアニストのお話。

エヴァが、母親シャルロッテと会うのは、7年振りのこと。
物語が始まる前に、この親子は既に断絶状態。  修復するべく、母親を招き再会をはたしたが、一晩で修復不可能な関係になり、母親は娘の家から逃げ出すように去っていく。

再会を果たした夜のこと、凄まじい娘の応酬にたじろぐ母の姿は、痛々しかった。過去を責められるのは、堪らないことだが、この母親は、現在進行形で母親業を放棄している。
実際こんな母親は、いないだろうと思うが、似たり寄ったりのところがあるところが恐怖だと・・・反省すべき点が多々ある(私に)。
娘(エヴァ)が、(母に)意図的に会わせたかったのは、脳性麻痺の妹(もう一人の娘)だった。
母は、療養所に預けているとばかり思っていたので、エヴァとの対面は望んでいたが、妹との対面は予想外。従って、その時の表情は、こわばり自分が母であることの体裁を繕うのがやっとだった。

客観的にみても、幼少のころから、ピアニストとして忙しかった母親は、遠征で出掛けることが多く、家族を顧みなかった。当然子供は、母の愛情不足から、母と一緒に暮らす間は、気に入られようと必死に応えるが、巧くいかないと怯えているような暮らしだった。
それが、次第に母への怒りと変わり、18歳の時には、無理矢理妊娠中絶させられ、恋人とも別れさせられたことまで、とめどなく母への憎悪が吹き出してしまう。

母はオロオロするが、自分勝手に生きてきた事実に、娘に反論することも出来ない。ただ、言いたいのは、「貴方の為を思って・・・」してきたこと・・・。
この辺の事は、日常的にやっている。
「ただ、貴女のためを思って・・・」これが、くせ者だ。

でも、この母親は最低だ。
私は母親だから、母の視点で観てしまい、擁護するべき点も必ずあると思って観ていたが、逃げるように娘の家から帰る汽車の中で「早く、死ねばいいのよ(脳性麻痺の娘)」と連れの男に言った台詞を聞いたとき、頭の中が真っ白になってしまった。

そう、やっと気付いた、こんな母なのだ、この人は。
ピアニストとしての自分しか頭にないのだ。この母親が育てられた環境にも問題があったのだろうが、栄光のピアニストとしての自分を追い続けることしか出来なかった。なら、なんで子供を産むのか?
その間違いに気付かされたところで、気持ちは重く沈むばかり。

ただ、救われたのは、愛される事を知らなかった娘が、心優しい牧師さんと出会い、今平穏に暮らしていることでした。
この母と、娘二人の迫真の演技は、流石に見事です。重いなりに、とても考えらせられた映画でした。


翌日、こちらは、父と息子の愛情豊かな映画「海辺の家」 (2001)録画 を観ました。

この映画、何年か前に、BSで放送したので録画して観たのだけど、手違いで、最後の30分というところで、テープが切れてしまい、中途半端な気持ちで終わってしまったのでした。
土曜日、思わぬ放映で、やっと心の仕えが取れました。
感動の名作です。また、後日。