年始に届く訃報・・・

hitto2008-01-06

お爺ちゃんの元気がない。
暮れに来る筈の喪中の葉書が来なかった為に、待っていた年明け年賀が届かなかった。友人のご家族からの電話で、始めて亡くなった事に気付く。

新年の喜びもつかの間、電話によって訃報を知らされたお爺ちゃんは、一変に悲しみにくれてしまった。それも3件も重なって人生の終焉を聞かされては無理もない。悲しみは、どこまでも深い・・・

辛い苦労を共にした戦友達(同年兵)とは、平和な時代になって何度も親交を深めてきた。住む環境はバラバラだけど元気なうちは、必ず自筆の年賀状を・・・と、(約束して)交換していた。
去年の暮れには、お爺ちゃん自身、自筆で書くのが危うかったが、それでも何とか自分で書こうと何日もかけて書いていた。
一年に一度の葉書に書かれた文字を通して、相手の健康状態が何となく分かる・・・お互いの安否を確かめる手段として年賀状は大事なものだ。

なかでも世話役に回っていた元気な人の訃報には相当堪えているようだ。
年をとるというのは、残酷な事でもある。自分より若い人や元気いっぱいだった人の死を目にすることなのだから。

考えてみると、お爺ちゃんより年上の人は数える程しかいない。兄弟も5人だったのが、今ではお姉さんと二人っきりになってしまった。
あの世にいる知り合いの数の方がずうっと多いのだから。

亡くなった人を思うのは辛いことだと思う。
意気消沈しているお爺ちゃんに掛ける言葉は虚しく、ただ相づちを入れるだけの素っ気ない私です。悲しい別れを何遍もしてきたお爺ちゃんには、私が何を言っても始まらない。隣りに寄り添うことも出来ない嫁なのでした。少し突き放すことで、お爺ちゃんは復活すると分かっているのだから。

この正月気分がおさまった頃、又ご近所の若いエキスを自分なりに取り入れるのだろうと・・・何より、話し上手は脳の活性化に繋がることなのです。いつまでもクヨクヨしてはいられない。

それでなくとも、お爺ちゃんは孫に囲まれ子供に負けないくらいに活動的なのだ。
実家の両親などは、孫を3人も連れて帰ると「嬉しい反面、帰ってくれるのはもっと嬉しい」「早く帰れ!」とよく言ったものだった。
その点、お爺ちゃんは、日頃の鍛え方が違う。65歳を過ぎてから男の子を2人を散歩に連れ出したりして、やんちゃな子供の相手を引き受けてくれた。
今でこそ、子供達を相手に遊ぶことはしなくなったが、会話は弾む。

脳も身体も鍛えられているのだから・・・ファイト!

読売新聞  Y&Y日曜版
クロスワードの答え・・・・・ダイコクネズミ
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