父親の自由・・・

hitto2008-02-20

春を思わせる陽射しに騙され、大量の洗濯物を集めては、フル回転で洗濯機をこき使う。
ベランダは、幸せの象徴と言わんばかりに衣類達が風にたなびく・・・


母親である自分の自由ばかり主張したことを反省・・・。運命共同体である夫のことを顧みなかった。

もくもくと働く父親の背を私も子供達も知らない筈がなく・・・子供達にしても今は精一杯休日を楽しんでいるだけのこと。
何れ子供達は父になり、母になる・・・そうはならなくとも近い将来、今の自由を手放す時が来るのだろう。
長い人生からみてもホンのイッ時。

自由に遊ぶ時の中には、とても大切な何かがあるに違いない。
気持ちの中まで伺い知れず、暗中模索の日々が続いているのかもしれない・・・多分そう・・・か・・・親が立ち入って聞けるものでもないです。

父親である夫は、私よりはるかに自由となる時間はないのです。
体力の限界を感じつつ、家にいるとひたすら身体を労り、無駄にいびきをかいて寝ている分けではないのです。
その苦労を知っているから、子供達も大事に気を使うのであって・・・
いきなりダイビングしてエビ固めするやんちゃな時期は当に過ぎたと・・・今になって、やっと無防備に寝られる幸せを感じているのでしょう。

近眼だった目は遠視も混じり、文庫本限定で購入する本の数もめっきり減ってしまった。それでも新刊が出たと言っては、本屋を覗くのです。
勿体なさから?楽しみは後に・・・読書に勤しむほんの少しの時間もつい眠気には勝てず、明日へ続く労を労って夢の世界へ入り込むのです。

子供達が小学生の頃までは、父親の出番も多く、見た目にも優しいマイホームパパを続けていたわけで、子供を殴り倒すなんてことは、一度もなかったのでした。
それは、時に甘く見られることもありますが、家族を背負って働く姿は、それだけで十分強さの証明でした。
まだまだ、それに太刀打ちできる強さがない分、子供達は甘えてみせるのです。

さあ、寂しくも、楽しみである自由気ままな日々が、いったいいつ頃やって来るのでしょう。
それまで、張り切って手仕事にセイをだしましょう・・・つづく