母の自由・・・

hitto2008-02-19

午後からの西日が、窓の結露をすっかり無くしてくれる・・・太陽燦々と輝き、僅かな自由時間を楽しむ。
後一時間もすると例の仕事がやって来ます。


毎日が休日(春休み)の子供達を後目に、主婦の自由になる時間って、あまりに少ない・・・と思ってしまう。
時間のやりくりをして、僅かな時間遊んでいると、わざわざこちらの姿勢(やることは、やった)をアピールする程、何故か手抜きに写るし・・・実際手抜きと思われても仕方のない部分もありますが・・・。

そもそも、アピールしなきゃ伝わらないってのも主婦の悲しい性・・・。
いて当たり前、いなければ、いないで何とか出来る人達だ・・・そうは言っても、母の有り難みをいつか知る時がくるだろう・・・と、内心では強がっているのです。


雑事に追われ、見たいテレビも録画、その録画さえ見る時間を持てないでいる。故に、ながら仕事となるのですが・・・それが出来るだけフルタイムで頑張っている主婦よりは恵まれているのです。

とはいうものの、長い主婦生活の間、解放感に浸れる時間はこの家の中に有らず・・・この囲いの中では、自由な時間と言うだけで、自由ではないのです。
暇を持て余すことはあっても、その暇な時間は制約があるし、片付けなければならない仕事は際限がなく・・・するも、しないも我が身が決めることなれど・・・評価されるなんてことを期待せず、無償の愛をいくらか証明したいが為に行う・・・まるで偽りの愛。
たまには、疲れることもある。

だいたいが、家族の行動に振り回されてしょぼくれるのは、狭い心の自分なのです。
母なるもの全てが偉大なはずもなく、産んだという事実だけが誇らしい。
その誇らしい思いは、同時に自分の時間を捧げることを前提に、覚悟していたものだった・・・はず。今更なにをやいわん・・・ですか。
子供の自由に比べると、母の自由があまりにショボイ・・・そんな思いを少しぶつけてみました。