考える・・・ネット社会

hitto2008-07-20

お父さんの日曜出勤で(身体が心配です)日曜の午前中だというのに、私はゆっくりしている。

長男は、昨日から2泊3日の旅行、次男は午後から学校へ行くので午前中は深い眠りの中。長女は、マイペースで作業している。
お爺ちゃんは、早朝墓参りの散歩も済んで「今日は古紙を集める日ではないか?」と、着替えも済ませていなかった私のところへ来て教えてくれる・・・(オイオイ、着替えの途中でなくて良かった)いつもは、お父さんが古紙を出してくれるのに、そんな余裕はなかった。で、着替えを済ませ古紙を出しに・・・いつもはお昼近くまで回収に来ないのだが、今日は8時半過ぎに取りにやって来た・・・「セーフ!」でした、お爺ちゃんに感謝。
今日も直射日光が強そうなので、早く終わらせたかったのだろう・・・子供会の親御さんにも感謝。


朝食が済むと後は自由、洗濯機が止まるまで、ゆっくり新聞と広告に目をやる。私が好きなのは、人生相談や読者の声、エッセイや時事川柳なんかを読むのも楽しみ。
この辺がネットのブログ検索に通じる好奇心と一緒かも。
余所の人の考え方は千差万別で、時には意表をつかれ考えさせられる時があるので、とても興味深い。

日曜の今日「気流」の投稿ではテーマが「考える・・・ネット社会」様々な年齢で様々な角度からの意見が寄せられている。
私がネットに触れるようになったのは、たかだか3年目。
一番の貢献は、辞書をひく手間が無くなったことか・・・これは良い影響ばかりとも言えない。近頃判らないことがあると「ネットで探してみたら?」が口癖で、「何でもかんでもネットに依存するのは良くない。ネットでもいい加減な情報があったりするから・・・」とは長女の弁。

文字を書くことも少なくなり、辞書に手が行くこともなくなって、欲求を満たしてくれそうなものには貪欲に読みふける。目は疲れるし、時間は掛かるし日常の家事にも支障をきたす。これでは注意信号が点滅しても仕方がない。
三日坊主の飽き性かと思っていたが、ブログにしても結構長続きしている。「何をそんなに書くことがあるの?」と聞かれても「書く程のものはなくとも、日記だから」なんて言い訳・・・実際は日記とは随分違う。


ネットのブログには、それを見る第三者がいたりするからだ。
生身の相手に出会うことは希にしかないが、興味のある(実際は会える事も不可能な方)とも繋がる事が出来る可能性があるし、奥の深いネットには、プラスになることの方が私には多いと信じられるからです。


「気流」の題名だけを上げてみると・・・「父と私を結ぶ絆」20才女性(学生)・・・「トラブルが怖い」45才女性(主婦)・・・「便利さの反面」56才(主婦)・・・「生活の幅が拡大」72才男性・・・「驚いた地図検索」82才女性・・・「責任ある運営を」17才女性(高校生)・・・・「悪口はやめよう」14才(中学生)・・・と、このタイトルは新聞社の人が決めているのか?定かではないが、要点をついていることにも感心する。

中でも「驚いた地図検索」82才女性の投稿は最も私の意見に近く・・・50年以上連れ添った夫を亡くし、打ちひしがれている時、息子がノートパソコンをプレゼントしてくれた・・・というのです。
その悲しみを埋めたのがネットで、視野が広がり、国内や世界の情勢まで知ることができた。今では生活の一部になっている・・・と結んである。

皆が皆、こんな風に利用できたらどんなに良いでしょう。世界が繋がる事を数年前まで考えられなかった私も、今では生活の一部になっている。


読売新聞   Y&Y(日曜版)
クロスワードの答え・・・・・ナナツドウグ
数独の答え・・・・・8+9=17・・・答え17