せっかち・・・です

hitto2008-10-17

家にいては勿体ないような快晴・・・

子供の頃から呑気な性格だと親に言われていたけれど、性格はどんどん変わるものなのか。

この頃は、自分が案外せっかちであると気が付いてしまう。
それとも我が儘な発言が、家庭の中では目立ってしまうからか。


子供を産んで育てると、大方母親はせっかちになってしまうのでは?
何かにつけ、アレは?コレは?と、それに、早くしなさい・・・を連発、子供の行動にイライラしながら幾度子供の先を行ってしまったか・・・一番良くない親の見本だ。


子育ては忍耐だと、心にいつも念じていたが、感情が露わになると、つい口が、手が、でてしまう。
こんな事を子供の年齢を数えるくらいにやってきたのだから、子育てが終わりに近づいたとしても、自分の行動パターンを変えられようもない。
未だに子供の先回りをして大丈夫かと案じている・・・そこがせっかちと見られてしまうところ。


特に最初の子育てには力が入っている・・・それが良いか悪いか、どうにも結論が出る代物ではない。
子供の性格も三者三様で、同じように育てたつもり・・・などと言うつもりはないが、何をするにも違った反応で返してくる。


親の影響力がどれ程のものか?
今の時点で考えるなら、せいぜい小学生までのことだった・・・としか思えない。
中学を境に子供はどんどん成長し、親の意見など意識の片隅に追いやられてしまっている、私は戸惑うばかりだった。
それでも一方的だろうが学習しない親の私は一貫して意見は言うし、相変わらず先回りもしていた。
日常の中に母の鏡と威張れるものなどひとつもない。


今思えば、口喧しく言っていたことが意識の片隅にあるだけでも御の字だ・・自分もまた親の立場になったならば、いつしか親の言葉が脳裏の片隅から這い出し、巡り巡って子供に言うのだろうか・・・よくよく考えてみれば、子供に言ってきた小言は当然わたしが親に言われ続けてきた言葉ばかりだった。


時に正しくないと思うことでも子供の為ならと、耳を塞ぎたくなるようなことまで言ってきた。
純粋に物事を見ている子供が、大人の汚さを感じたのは、まず親の私からだったかもしれない。