「黒子の仕事に光」

hitto2009-02-24

朝のワイドショーも紙上もアカデミー賞で湧いている。
この快挙を味わいたいとチャンネルをカチカチやると、どこでも「おくりびと」だった。
4チャンネルのみのさんと中継が繋がっている・・・役者に徹するときの大胆さと違い、普段の本木雅弘さんは控えめで好感がもてる。監督の滝田洋二郎さんとツーショット、昨夜から一睡もしていないという二人、日本に帰って来たら来たで大変だろうな。
こんな明るいニュースは嬉しいもの、政治よりもずっとこの日本を救ってくれそうな気がする。


新聞(読売)には、「おくりびと」の華々しい報道・・・のほかに、ひっそりと納棺師さんに触れていた記事が。
「黒子の仕事に光」と題して・・・
日本人の死生観を描いた映画の快挙に、葬儀の裏方に徹してきた納棺師からは「黒子の仕事が世界に評価された」という喜びの声があがった。
納棺師という職業が生まれたきっかけは、1954年、北海道で青函連絡船「洞爺丸」など5隻が沈没し、1430人の犠牲者を出した海難事故と言われる。
当時、北海道で生花店を営んでいた遠山厚さんが、損傷が激しい遺体を一体ずつふき清めて遺族に引き渡した。
生前の姿を取り戻した遺体と対面して悲しみを和らげる遺族の姿に接した遠山さんは69年、納棺を専門に行う株式会社「納棺協会」(札幌市)を設立した。

納棺協会の納棺師、堀江満さん(39)は、主演の本木さんらに約4か月間技術指導し、「自分の家族を納棺しているつもりで」「ご家族に代わって納棺させていただく姿勢が基本」と心構えを伝えた。
本木さんは「もっと滑らかな方がいいでしょうか」と一つ一つ手の動きにこだわり、遺族にどう見えるかを意識したという。

受賞の一報に接した堀江さんは、「影の仕事を映画の題材にしていただいただけでも光栄なのに、受賞によってこの仕事が世界に広く知られることをありがたく思います」と笑顔を見せた。



「洞爺丸」の事故がきっかけとは知らなかった。
犠牲者の数からして大惨事だったのだろう・・・聞いた覚えのある「洞爺丸」、タイタニック号に次ぐ、史上第二位(当時)の海難事故だったとある。
納棺は、もっとはるか昔からある葬儀の儀式だと思っていたが、それまでは家族に任されていたんだ。
札幌市で設立されたなんて思いもしなかったが、なんとなく誇らしく嬉しかった。