「海を飛ぶ夢」 2004年・スペイン/フランス

hitto2009-03-13

早朝からの雨音で目が覚めてしまう・・・今日はこのままずーっと雨のようです。
昨日観た映画「海を飛ぶ夢」があまりに強烈だったので、寝床についてもなかなか眠れず、難しいテーマを自分なりに考えこんでしまいました。



海を飛ぶ夢」 2004年・スペイン/フランス MAR ADENTRO
アカデミー外国語映画賞に輝いた秀作。事故で四肢がまひしてしまった青年ラモン。寝たきりになったまま20年以上の時が流れ、中年となった彼はある決意をする。尊厳死を求めて闘う男性を通して生とは何かを問うヒューマン・ドラマ。「ノーカントリー」でアカデミー助演男優賞を受賞したスペインの名優ハビエル・バルデムが、首から上だけしか動かす事のできない主人公ラモンを見事に演じ、ベネチア映画祭男優賞を受賞した。
                               byNHK

尊厳死というテーマにはほど遠いけれど、昨日の夕刊の中に、浄土宗総本山「知恩院法然上人からのメッセージが・・・・
ある人は「自分は独りでも生きていける」と言うでしょう。
またある人は「自分は独りぽっちで、孤独だ」と言うでしょう。
何か大きな壁にぶち当たった時、誰かに出会って解決したという経験はありませんか。
それがあなたを助ける人の縁、人は決してひとりで生きているのではありません。
助けられて自分の至らなさに気づき、人にも力を貸せる人となり
あなた自身を高めていくのです。
人は「独り」ではないのです。



・・・・・と大きな文字で書かれていました。私が引っ掛かったのは最初の2行。
ある人は「自分は独りでも生きていける」と言うでしょう。
またある人は「自分は独りぽっちで、孤独だ」と言うでしょう。

同じ境遇だったとしても人によって違うことを言うのだと思います。



海を飛ぶ夢」の映画を観て感じたのは、人はそれぞれだということ。
この主人公ラモンの人生はラモンにしか語れないものだと思いました。


海の事故で首から下の四肢がまひしてしまった。
そして30年近くも兄の家族や父親に介護されて生きてきたのです。


父親は歳をとり、兄の家族も献身的に介護をしてきた・・・なのに、ラモンが選択した「死」。


生きるのが義務だと押し付けられ生きてきたが、生きるのも死ぬのも権利だと。
だけどその「死」は尊厳死と法廷では認められなかった。


たとえ自殺だとしてもラモンには自殺をする自由さえなかった。
生きる自由と死ぬ自由、存在自体がプライバシーの放棄だと言うラモンの思いは、長い時間介護されてきた本人でなければ言えない言葉です。


ラモンには友人も沢山いて家族も暖かい。
映画ではラモンの生活は描かれず、ほとんどがベッドの中での会話によるものでした。
義姉の介護は実際ならもっと淡々と行われ毎日が規則正しく過ぎていくものだと思う。
そんな苦労が苦労とは見えず、同じ四肢まひの神父さんに発した言葉が、思いのすべてだというように重く圧し掛かかってきます。


同じ境遇にいても感じる思いは様々で、ラモンは決して弱い人間じゃなかった。
生きる喜びもあったからこそ、30年近く明るく振舞えたのだろうし、ずいぶんと言いたいことを言って来たようにみえる。
心は健康そのもので、甥の子に話す言葉は、卑屈なところなど微塵も感じさせない。


甥も生まれた時からその叔父に当たり前のように関わってきて、叔父の深い悲しみまで分らない。
きっと亡くなった後で知るのだろうか。
叔父ラモンが家を出た時、ラモンの乗った車を追いかける甥の姿に胸が詰まります。


法廷では認められなかった尊厳死をビデオカメラの前で実行していくラモンは、死ぬ自由(権利)を手に入れた誇らしさが感じられた。
ラモンが心を寄せた弁護士のフリアもまた脳血管性認知症という不治の病。
ラモンの書いた詩を出版したフリアもきっと死の選択に迫られたのでしょう。結局フリアは生きる決心をしたのですが、(フリアの病気は進むにつれて)記憶の一つ一つが忘却の彼方へと押し流されてしまう。



尊厳死、自分を否定して死を選ぶ自殺とは違う。
両親が延命措置で永らえたとき、私は死にたがっていると勝手に思っていた。仮に延命を拒否する遺言でもあったなら亡くなる意味が全く違ってくる。
だけど、家族が尊厳死だからと言って見送るのは身を切るより辛いことです。
映画全体が一つの哲学書のようで、ラモンの言葉の意味をかみ締めて、時間をあけてもう一度観ようと思っている自分と、もう関わりたくないと思う自分がいます。



昨日のUSO放送
カーネルおじさん見つかる
もうツキ落とさない      
阪神ファン(神奈川:縁起かつぎ)