悲しみ

hitto2009-05-19

亡き妻の病 気づけず後悔(読売新聞、人生相談)
 60歳代男性。20歳代の娘と2人暮らし。2年前、40年近く連れ添った妻を亡くしました。妻は母の介護を15年間続け、その母をみとった後、病に倒れました。入院時には病気はかなり進行していました。数か月入院し、妻の希望で家に連れ帰りました。

 娘と一緒に懸命に看病しましたが、この世を去りました。後を追うことも考えましたが、子どものことを考えて何とか思いとどまりました。今は供養に専念する日々です。

 ただ、なぜ早く病気に気づいて助けてやれなかったのかという思いに毎日さいなまれています。友は「歳月とともに、そんな思いは消える」となぐさめてくれますが、悲しみは募るばかり。何もする気にならず、ただなんとなく過ごしております。今後の生き方についてご指導いただけたら幸いです。(石川・F男)
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20090519-OYT8T00235.htm


人生相談で時々目にする、愛する人との別れ。悲しみのどん底にいる人に回答者の声が届くのだろうかといつも考えてしまいます。
そして、それはいつか自分も体験するのだろうかと思えば、いっそ自分が先に死んでしまった方がマシだろうとさえ思います。
それでも成行き任せで生きていくしかないのです・・・明日のことなど誰もわからないのだから。


ただ今思い出すのは、一番身近にいた自分の(亡き)両親、そして今も元気な義父と亡くなった義母の二組の夫婦。

自分の両親は互いに別の病院で入院、そのまま入院先で亡くなりました。
父が脳梗塞で倒れてから、1ヶ月後に母が心筋梗塞。殆ど突然に二人の日常が途絶えてしまった。


義母が亡くなったのも突然の心臓発作。
残された義父の悲しみを思い出してみると、この投稿者の方のように、毎日が悲しみのあまり生きる希望など無くしていました。
亡くなったその日から、私たち夫婦は実家に住み込み片時も義父と離れることはしなかった。
1ヶ月が過ぎたころ、実家を離れ我が家で同居することになったので、考えてみると25年も一緒に暮らしています。


最初から義父とウマがあったわけではなく、本当は言いたいことが沢山ありました。
何故なら、その頃の義父は何かを話す度に「死にたい」「死んだ方がましだ」と言ってはお仏壇に手を合わせていたのですから。
そんな義父に、何か感に障っても文句など言えるものではなかったのです。それほど落ち込んでいたのです。


言えなかった文句はすべて夫へ・・・(これが出来なければ今の私はいません)

義父母は一緒に寝ていて、一足先に起きた義母が洗面所で水道を出しっぱなしのまま倒れたのです。
気がついた時には遅く、救急車で運ばれた時はもう手遅れだったのです。


義父の中では「もう少し早く気がつけば・・・」と、悔しかったと思います。
昔堅気で頑固な義父だったと義母から聞かされていましたが、義母の晩年、年金生活になったころからは買い物も夫婦で出かけるくらいに、近所の人とも冗談が言えるほど丸くなり、いつもどこへ行くにも一緒だったのです。
亡くなる数年の暮らしは、きっと義母も幸せだったと思います。


義父は65歳までは働いて、その先は一緒に旅行などして暮らしたかった、そう思っていた義父が64歳の時でした。
65歳までと言った仕事も義母が亡くなって辞めてしまいました。
突然の別れのショックは、時間を止めて過去の後悔ばかりが募ります。
うつむき加減に「死にたい」と言った義父を生涯忘れることはありません。


それからすぐに次男が生まれ、その頃の義父と私とのバトルは・・・後日書くことに。