幸せって?

hitto2009-12-05

昨夜のGPファイナル、見応えのあるものでした。今日のフリーも期待したいです。


NHK朝の「この人にトキメキっ!」きのう4日のゲストは勝間和代さん、ネットの中でも話題になっているので、名前だけは知っていましたが、全く無知な私は「誰?」という感じでいました。
若い人には特に影響力のある人だというくらいで、著書がベストセラーになっていることも「カツマー」というネーミングがあることも殆ど知りませんでした。


最初の印象は、なんて早口な人、頭の回転が良いのだろうと察しがつきます。
経済評論家と紹介されていたので、経歴はキャリアウーマンと一言では済ませては申し訳ない立派な会社の管理職を経て、しかも子供が3人、19歳で公認会計士試験の2次試験に最年少で合格したとか。


長年の命令口調や愚痴、不摂生を反省して、妬まない、愚痴らない、怒らないの「三毒追放」を実行しているらしい。
全くその通りだと思います。この三つの毒を私も追放したい。


まだ若いのに、相当いろいろな苦労を体験してきたのだとわかります。
VTRで出演していた精神科医香山リカさんのコメントが面白い。
勝間和代さんをめざさないという、真逆の説かと思いきや、似たタイプのようにも見えました。
お二人とも頑張っている、著書の数が凄いです、タイトル読むだけで惹き付けられそうです。


ただ、戴けなかったのが「自分の幸せは周りの人を幸せにできた総量できまる」
なんとなく突っ込みたくなるような言葉だな・・・と。


著書を読んでいないので、週刊誌の見出しを読むような理解力ですが、言葉だけを受け取るとフト疑問に思ってしまったのです。
幸せは、決められるものではないでしょう・・・感じるものだと思うのです。
幸せを売ることを仕事にしている人がいて、目標を達成できた本人は、人に幸せをもたらしたと確かな手応えと満足感があるのでしょう、でもそれがこの方の幸せなのか。


最も身近な人が幸せでなければ自分は幸せを感じられない気がします。
幸せにできたか・・・瞬間(時間)に浸ることはあっても、幸せを測ることはできないです。
幸せに感じる尺度があるのなら、その大きさも内容も感じ方も受け取る人それぞれです。


周りの不幸なことに目を反らし、ちっぽけな私は何もしてあげられず、このまま自分の幸せをきめられず、一生得られないまま過ごしてしまいそうでがっかりしてしまいます。
そんな馬鹿な・・・
「周りの人を幸せにできた」は、すこし傲慢な言い方、おごりのように感じたのかもしれません。


人は生まれながらにして、回りに幸せを振りまいていると思います。
その存在だけで周りにいる家族は幸せと感じるものです。時に不幸のどん底に突き落とされることもあるでしょうが・・・。
そう言うと、話が広がり過ぎて何が言いたいのか自分でもわからなくなってしまうので、やめます。


幸せを匂いに例えるのなら、匂いの種類が無限にあるのと同じような気がします。
美味しそうな匂いから、石鹸の爽やかな匂い、ほのかな香水の匂いやら、愛しい赤ん坊の匂い・・・好みの匂いはそれぞれでしょう。
嫌な匂いも沢山あります、嫌な匂いを時々嗅いで嫌なことを知っているから、身近にあるありふれた匂いが何より自分を楽にして、幸せを感じるのだと思います。


自分の中では母親であることが大きいので、子供の幸せを一番に願っています。
それさえ、求める匂いの違いがあって、親が与えられるものでもないし、私にはどうする事も出来ません。
ただ、必要とされる時に私の匂いを放つことだけでしょうか(今はもう食べ物の匂いしか思い浮かばない)。
相手にとって良い匂いなら良いのですが・・・なんだかとても臭い話になってしまいました。


不毛地帯」亡くなった母親を前に息子が「お母さん、幸せだっただろうか?」と呟きます。
きっと、この先もずっと母親のことを思い出しては、その答えは見つけられないでいることでしょう。
でも良い思い出の中に母親がいつもいたこと、それがあれば残された子供はいつか母親は幸せだったと思えるのかも。私はそう思うことにしている。