ぶちぶちと

hitto2010-01-15

今週は手際よく内職を終わらせたので、今日は一通りの家事を済ませてからパソコンいじり。お爺ちゃんはデイサービスに出掛けているので、お昼の時間が過ぎても気にもとめず画面と睨めっこ。
どうしてこういう自由な時間の流れは速いと感じるのだろう・・か。
まるきり時を無駄に過ごしているような後ろめたさ、他にやることを探せばいくらでもありそうなものを・・・ただPC画面が変わるごとに情報のさわりを流しては消し、流しては消し。


結局落ち着くところは懐かしの画像、幾つも渡り歩いてはお気に入りに取り込むものだから、ファイルがいっぱい。
それでまた整理を始めると殆ど今日中には終わらない。

好きな曲を探して聴いていると、アーティスト本人の若い頃の映像が見られたりしてワクワクする。
フォークや洋楽のヒット曲は、(作者の)音楽活動を始めた10代や20代の作品が多く、自分も影響を受け易い10代から20代に聴いていたもの。それが一番心に残っていたりするのは、この10代から20代の記憶や感性がとても鋭く、それから遥か長い人生を送っていたとしても、容易に忘れられないものだと思ったりする。


まず若い時の感性で作られた作品は、ストレートに心に響くものが多く、インパクトの強い光りのようなものだったり。
多分世の中の事が少し分かり始めた子供から、大人の世界へ。
吐き出すようなやり場のない心の叫びだったり、純粋でつまりは「光=若さ」なのかな、そんな自分の感性に合う歌に巡り合うと自分もその気になって歌ってしまう。


長い芸能活動をしているアーティストにとって、若いころのヒット曲を越えるのは容易なことではないのかもしれないとつくづく思う。
特に私は最初のヒット曲(しかもサビだけだったり)しか知らない人間だから、若く苦悩に満ちた(恵まれない頃の)作品だと知ると、ハマりやすい。
サイモン&ガーファンクルの曲でもポールの20代の作品に戻ってしまう。

今は分別のつく大人の見栄か、なかなか新しいものに目を向けようとはしていない・・取り入れる機能が衰えてしまったか。
街には多くの若者が溢れiPodに耳を繋がれている。
我が家の子どもたちも三者三様に、好きな音楽にハマっているけれど、その中身は分からない。
長女は洋楽が多い、長男はインディーズを聴いたり、次男はjポップ専門・・・か、やはり分からない、他にも分からないことだらけなんだけれど。

明日は病院、お爺ちゃんの歯医者にも付き合わなければ、夕方は難波へ夫婦参加の新年会。