すききらい

hitto2010-11-22

私は小さい頃から好き嫌いがハッキリしている方だと思う。
それで人生の何分の一かは損をしていると思うのだけれど、嫌いなものはそうそう好きにはなれない。
食べものに関していうと、嫌いな物の方が多くて、大変母親の手を煩わせていた。
困ったことに強いられると尚のこと嫌いになってしまう、なので両親姉妹は、私がちゃんと好き嫌いをしない子育てができるのか、本当に心配をかけてしまったくらい。


緑黄色野菜、まるでダメ、魚、特に魚介類は触るのも嫌、丼もの嫌い、うどん蕎麦ダメ・・・いったい何が好物かと言うと、母親はこれならと・・決まって私の前に並べてくれたのはお稲荷さん(稲荷寿司、寿司米は何も混ぜなていないものに限る)と筑前煮とトンカツ、これさえあると私はご機嫌だと思っているのか、節目、節目に何度出されたことか、本当に親は有難い存在だと思う。


さて、私の子育ては殆ど終わったのだけれども、その心配は他所に子供達は私ほどの好き嫌いはなく、健康に育ったのではと思っている。
3人いると好みがバラバラで、嫌いであっても同量を並べ添えて、食べるのが義務のように思っていてか、残さず食べてくれていた。
そこだけは私とは大違いの出来の良い子供たちだと思う。
親元を離れると、健康を気遣って進んで野菜や煮物を食べているようです。

私の好き嫌いは食べ物ばかりではない、こういう人間は多分何に対しても嫌いだと主張するものが多く、元来我儘な性分なのだと自分で思う・・・常に反省・・といって、反省の色が見えない・・心から反省したいのだけれど、常に嫌いなことを言いたくて言いたくてしかたがない、という屈折して抑えているところがアリアリ。


強いて言うなら年の近い姉妹にもまれ、人の顔色を伺う要領の良さを心得たところが多分にあって、しかも親になって本音よりも建前を通すことを覚えたからか、周囲に気を使い、不快な気分にさせないように、少しばかり配慮できるように努めていたということ、これって大変大事なことだと思うけれど。
家のなかで私が心を許し本音を吐くと、(中身は散々なことが多いから)嫌いな理由なんて、家族は聞き流すようにしているに違いないと思う(けなすのも得意・・て、自慢じゃないけれど)
だから、ここでも嫌なものを嫌って言うのは本当に勇気を必要とする。
サラッと「私、アレ、好きじゃないんだよね」なんて言葉が言えたら、全く違う人生が歩めたかもしれない・・・そんな大層な。


本にしても音楽にしても好き嫌いは多く、好きな人間からみたら途端に気分が損なわれてしまうはず、だから、感じ方は人それぞれなんて軽く受け止められない。


多分・・・・・矛盾しているかな?
過去に書いたもののなかには辛辣に書いてしまったものもあったような・・読み返す時間が勿体ないので、そこは考えないことにします。
自分のなかでは気を使っていると思っているところが救いようのないおバカさん。
傷つけることは平気でも、いざ自分が傷つくと萎えるのが人、私は大勢の人を傷つけてきました。
生まれたときから母親を傷つけ、姉妹は勿論のこと、夫や子供達、友人や同僚、近所の方に、会ったこともない作家や歌手、芸能人、それに大切な食べ物にまで、なんと愚かないきものだろうか。


けれど、「サイモン&ガーファンクル全曲解説」という著書を書いた佐藤実は嫌いだ。
本も途中までで、読む気が失せてしまった。
ごめんね・・せっかくプレゼントで貰ったものなのに。
この著者、きっとポール・サイモンの大ファンなのだろうけれど、私の大好きなアート・ガーファンクルに対しての思いはそれほどではなかったのだろう・・と思える。
それならば「ポール・サイモン全曲集解説」にすれば良いことなのに、商業的な匂いが充満して息がつまってしまった・・やや、スッキリ!