「かあさんのうた」

hitto2009-02-11

「かあさんのうた」作詞・作曲: 窪田聡(くぼたさとし)
昭和31年(1956年)2月『窪田聡作品集(一)』昭和33.12収録

 
かあさんが夜なべをして    手袋編んでくれた
木枯し吹いちゃ冷たかろうて     せっせと編んだだよ
ふるさとの便りは届く     いろりの匂いがした
かあさんは麻糸つむぐ     一日つむぐ
おとうは土間で藁打ち仕事    お前もがんばれよ  
ふるさとの冬はさみしい   せめてラジオ聞かせたい 



昨日のヨイトマケに続いて、母を思う歌として浮かぶのが「かあさんのうた」です。
題名は、検索するまでわからなかった。
物悲しい旋律と貧しさが身につまされ、泣きたくなる思いをつい閉じ込めたくなるので、滅多に歌わない・・・けれど、よく知っている歌です。
この歌は、小学生のころ全校生徒が参加する「月曜日の朝礼」の時に何度か歌わされた。
曲名を検索したサイトで昭和30年代に、うたごえ運動で、全国に広がった・・・とあります。
そうなんだ・・・教科書にないこの歌をなぜみんなで歌うのか不思議だった。


私がこどもの頃は、手袋、マフラー、帽子、セーター、パンツまで、母親が編んでくれるのは極普通のことだった。
セーターの毛糸は何度か解かれ、輪にして洗って伸ばし、乾いたら子供の両の手に掛けられ、母親が毛糸の玉にしていた。
新しい毛糸もこのころはひと束が輪になって売られていた・・・と思う。


私の両腕は「前ならい」のように前に突き出し、フカフカに乾いた毛糸の輪が掛けられる。
リズミカルに腕を動かして、糸が絡まないように母が引っ張る糸の速さに合わせ動かしている。
この時は母も「○○は、上手だねえ」と褒めてくれる。
細い毛糸が1本、揺れながら母の手元に伸びて繋がる。
母が紡ぐ毛糸の玉はどんどん大きくなって、時々糸が絡みまた解く。
子供の私を飽きさせないように、次に作るものの話なんかして・・・それが自分のものだと嬉しかった。


けれど現実は、この仕事が長くて苦痛だったのです。
今は良い思い出だけれど、腕がだるくて腕に掛けられた毛糸がなくなるまで我慢。
毛糸の輪が居間にあると、あ〜またか・・・と逃げたくなります。
それでもまるで精密機械のように動く母の編む姿が目に焼き付いている。
編み棒の動きが目に止まらないくらいに早かった・・・と、ちょっと自慢。


母の温もりを感じて暮らしてきた私は幸せでした。
今は少しのお金で奇麗な柄の手袋やセーターが手に入る・・・だけど、親のぬくもりは伝わらない。
何か他のことでも伝えることができているだろうか?