つれづれなるままに

hitto2015-02-06

あっという間に立春が過ぎ、暦の上では春だということです、まもなく春らしさを感じられるでしょうか。



恒例の新年会で韓流好きの友人との一コマを今も考えている。
自分の心の狭さというか、この数年は右寄り思考をする癖が付いて、いつしか何でもないことを差別視するようになってしまったのかな。

色眼鏡は外しましょう。




ジョン・レノンのイマジンを聴きながら世界平和を祈り、憎しみなんていう負の感情を洗い流してしまいたい。
彼女こそが平和を愛し叫ぶに足る人なのだから。



それにしても何処の国にも良い人悪い人がいるもので、毎日のニュースにはネタが尽きないようです。
正義感って何なのでしょう。


自分の中で正当化されたものは余程のことがないと考えを変えられない、全く融通の利かない頑固者になってしまうのでしょう。

自分が批判するものに対しては同意を求め、反対の意見には嫌悪感を抱きつつ黙ることに。


闘うことさえしない、それが大人ってものでしょう・・と、ほくそ笑んで実際は順序たてて上手に話すことも教養もないから、勝手に大人ぶってりゃいいのでしょう。



こと政治に関しての意見はどちらとも自らの正義感からくるので対立するものだし、聞き入れたくないものには耳を塞ぎ、ネットの中では管理人さんに同調する人が多く集まるので一方的な思考。


両極の意見を見るにつけ、意見は違えども同じ匂いのする非難の嵐が吹いています。


黙ってはいられない一言に憎悪の感情がむき出しになっていたりすると、ついに嫌気がさしてしまう。

どんなに知的な人の意見でも悪意に感じられる言葉を発せられると、悪い感情しか生まれてこない。


こうあるべきという前提で話す言葉に融通性はないのだろう。


人はそれぞれ、小さな物事にも違う見方があって面白いのだ。

まさか生きる死ぬのでなければ対立していても仲良くはなれる。

批判ばかりの世の中より困った時に助け合える世の中が素敵。