60歳に思うこと

hitto2015-02-26

今日は朝から雨。


今頃の60歳だと電車に乗っても席を譲られるわけではないし、去年の自分と一ミリほどの違いもないので、大袈裟な祝いは心底気恥ずかしい。

昨年と同じにやり過ごそうと思っていたが回りが気を使うようで、感謝感激雨霰でした。

ケーキのろうそくを消しながら思ったことは、このような還暦の日を子どもたち一人一人が迎えられるように、なりますように・・だった。



私はもう十分に幸福で、してあげる側からされる側に比重が大きくなってしまったかと嬉しさ半分と、寂しく思うところもあったりしますが、現実にはその日限りのことで、日々の暮らしは寂しがってなどはいられません。

日々3人の子どもの行く末とお爺ちゃん、可愛い孫の世話を時々は焼いています。


考えてみると子どもたちが大きくなり、親のことなど見向きもしなくなり、空虚な時間を持て余していた時期もありました。


そんな空虚な時間を埋める術を身につけてからというもの、急に戻れといってもなかなか元には戻れない、戻ってきてはいますが、体力にも限界が・・若返るような薬でもあると良いのですが、そこは50代とじゃ雲泥の差を感じている今日この頃、大勢の食事の用意を未だに作らねばならぬとは・・・


そういう運命なのだと半ば諦めムードでやり過ごし、これは何とかしなければ・・とは言っても何が何とかなる風でもなし、ここはじっと見守ることしかできないではないかと結論付けて、明日の風まかせといった日々です。

実際は助かっている事も数多くあるのです。



昨日の新聞の藤原智美さんのコラム

「現代の還暦、難しい年頃」還暦に特別な思いを抱くことはなさそうと言いつつ、年々遠のく「若さ」を追いかけてばかりでは疲れる。
頼りになるご隠居を目指すのか、やっぱり若さを求めるのか。
現代の還暦=60歳というのは、中途半端で難しい年頃なのだ。
クールに年を重ねるというのは、なかなか大変である。

と結ばれている。
オシャレな人らしい。


誰しも「お若いですね」と言われるのは心地良いものです。

これからは年齢などというものを超越して、何かに打ち込むことが出来ると自ずと張りのある生活がでるもの、それが若さの秘訣だったりして、と思うのです。


常識とか年齢制限とか考えずに、まずはここからという気概のようなものが備わらないかなあ・・・