脳梗塞

10月17日(火曜日)
先週末からずっと雨模様、秋雨前線が張り巡らせているらしい、今以って雨、気温は15℃前後。
今日はお父さんが職安に行き認定を受け付ける日だった、、過去形で書くのは昨日夫君が脳梗塞で入院したから。
恐ろしい病名だ。
実父は脳梗塞の末2年後に亡くなった。



昨日(16日)の朝はいつものようにお父さんが早く起きコーヒーを淹れていた。
私が起きた7時にはいつものようにコーヒーを飲みながらテレビのニュースに耳を傾けていた。
新聞はビニールに包まれたままテーブルの上に置かれていて、一見いつもの朝のようだった。


お父さんの喋り口調が眠気から覚めていないようでもたもたした感じだった。
何を話しているのか聞きづらい、「なんて言ったの?もう一回言って」と何度か繰り返した。
お父さん自身何かを感じていたのか、喋りづらい風で唇があまり動かない、私に分かるようにゆっくりと話すのだけど伝える言葉の意味は分かっても昨日までのお父さんの喋り口調とは明らかに違うのが分かった。まるで酔ってろれつが回っていない風だ。



「お父さん、身体のどこかおかしくない?」
「そういえば左側の腕、いや半分に違和感があるようだ」
「それ、脳梗塞と違うの?」

思ったことをすぐに口に出してしまう私は即座に訴えた。



「お父さん、気持ちを落ち着けてね。長男が仕事に行ったら直ぐに病院へ行くよ」すぐに気持ちが落ち着くわけはなかった、分かっているが急いで気持ちを落ち着かせ心構えをしなくてはならないのだと分かってほしかった。

ただ事ではない。


自分も狼狽えていた。


今日は次男が休日だったのが幸いし車で病院へ送って行かれるように次男を起こした。
「起きて、お父さんが脳梗塞かもしれない」
次男「どこのお父さん?」どこも何もウチのお父さんに決まっているが、その現実に気付いてくれるまでの数秒がまどろっこしかった。


兎に角病院へ連れて行かなければという気持ちだけだった。

お父さんは「えー、なんで?ホントか?嘘だろ」と何度ももごもごとした口調で独り言を言うばかりだった。


掛かり付け医のないお父さんを病院へ連れて行くならお爺ちゃんがお世話になった病院へとしか考えていなかった。
あそこは総合病院だし。
暫くしてふと友人の言葉を思い出していた。
脳神経外科ならあの病院が良いんだよ、と友人に聞いたことがあったことを。


長男が出勤するころ脳神経外科の専門医のいるその病院へ電話を入れてみた。
受付の方が出てお父さんの症状を聞くなり「救急車で来られる方が対応が早いです」冷静なふりをした馬鹿な私は今日は息子がいるので自家用の車で行った方が早いと思いますと。


緊急対応と外来患者ではそれは対応が違い過ぎるだろう。

即検査治療が必要なのだから早いに越したことはない、私は受話器を置いて119番、すぐに救急車を呼んだ。
何分で到着するのか待ち時間は10分と掛からなかったと思うが長くイライラするものだった。
その間中、お父さんに大丈夫だから座っててとか言いつつバッグに必要なものを詰めていた。


救急車はすぐには出発せずお父さんが救急車の担架に横になるなり血圧や酸素の計測器に繋がれた。
お父さんは自力で救急車まで歩けたし担架にも自分で乗っていた、口調のもたつき以外は病気だと見分けがつかない。


その血圧計の数字が驚きだった。
下が123、上が231。

こんな数値見たこともない、数字遊びじゃないんだから。
こんなに高くなっていたなんて実際に起こり得る数値なのだろうか。
お父さんと顔を見合わせただ事ではないと思い知った。

数値の高さだけを見ても気が動転しそうだった、けれど意識はしっかりしている、心臓の高鳴りをなんとか鎮めるように救急車のカーテンの僅かな隙間から景色を覗いていた。

病院までは10分ほど。


お爺ちゃんを救急車に乗せて行ったのはたった2年前のことだというのに。
こんなに早く再び救急車に揺られるとは思いもしなかった。


衣類を詰め込んだ袋を手渡されMRIの検査の結果を次男と一緒に聞く。
いつ手渡せられたのかMRIの検査同意書が手元にある。
患者指名にはお父さんの自筆のサインがしてあった。
走り書きではあるがちゃんと読める名前の文字が悲しかった。


なんでこんな目に。
医師の説明では夜中に発症したとみられる脳梗塞だということ、右脳のほぼ中央部に白い1センチくらいの影が血栓を塞いだものだと分かる。
血液をサラサラにする点滴をして3日間は絶対安静、トイレへも歩いて行ってはいけない。
ベッドの上で1週間はナースセンター横の病室にいることになりそう、たえず経過観察されるらしい。
モニターの線は身体の数か所に繋がれていてナースセンターの方にデーターが流れているのだろう。

MRIの検査が頭の中にガンガン響き恐ろしかったと言ったが身体のどこか痛みがあるわけではない。

医師からの説明をお父さんはカーテン越しに聞いていたらしい。
医師から本人に説明は行われていないようだった。

暫く病院通いがつづきそう。
これ以上の災難がお父さんの身に起きませんように。 

以上が入院した翌日に書いたものでした。


今日は21日、土曜日。
入院した日から雨は相変わらず降ったり止んだり、今日は朝からずっと止まない、おまけに台風21号ときた。
今日も11時からの面会へ病院まで行ってきました。


症状は何も変わっていない。
昨日再びMRI、エコー、血液検査があり医師からの説明を受けました。
お父さんはもう退院する気でいる。

点滴は入院の日からずっと続いていて火曜日まで繋がれていると思うのだけど。
来週中には退院できるかも。3日目から一般病棟に移され、トイレは自由、リハビリは2日目から初めてもらっている。
口、腕、足と、その箇所の専門家が付いているらしい。
血液検査の後、だるかった左手が嘘のように力が入るようになったと言っていた。
選挙の投票は昨日事前に済ませたらしい。



ネットは有り難いもので、家族それぞれが病気を検索していて、あれやこれやと私に教えてくれる。
私も私なりに検索しまくっている。


脳梗塞は程度が違えば後遺症もまるで違う、ポジティブに不幸中の幸い、今回は軽度で済んだと思うようにしています。
ここで生き永らえたんだと思えば、これはこれで今後の生活が健康的にと気を遣うし、食事も野菜中心になることは私にとっても良いことでしかない。


身体的なことに気を遣うのは良しとして、今後精神的に不安定にならないか、そちらの方がむしろ心配なのだが、今のところその心配もいらないと思っている。
ただ私自身再発の不安を必死で払いのけている。