1969年って、何してた?

hitto2008-04-09

「Live 1969」を聴いて、心の中はサイモン&ガーファンクルのことで一杯になっている。


1969年がどんな年だったのか?
殆ど化石と化した記憶の欠片をかき集めるように・・・。
ポールもアーティも1969年は、28歳、11月には29歳と、とても若い。


更に私は14歳と全く洋楽に無縁なところにいたような・・・そう言えば、そうでもないかな〜、あの頃は、大人気の米ドラマがあって、モンキーズがいた。
クラスの女子の間ではデイビー派、ピーター派、ミッキー派、マイク派と別れていて、殆どが夢中で見ていたと思う。(ちなみに私はピーター派)
自然に「デイドリーム・ビリーヴァー」なんかの曲も覚える程でした。
団塊世代から少し遅れて産まれた私達の間で、ビートルズよりも身近な存在であったような気がします。
その人気は、ダントツだったかもしれない。

それでもサウンド・オブ・サイレンスはラジオから耳に入ってきていたのです。
何せ「卒業」の映画は、殆どの若者が見たのでは?と思うくらいの大ヒット。

他にあの頃は、洋画「俺たちに明日はない」「明日に向って撃て」「猿の惑星」「ロミオとジュリエット」「ある愛の詩」エトセトラ(思い出しただけでもこんなにある)・・・どれもヒットしていた・・・何度もテレビ放映されている名作ばかり。
私がロードショーという、リッチな座席で観たのは、「ある愛の詩」くらいか・・・(決まってその映画のテーマ曲も大ヒットしていた)後の映画は、テレビか、2本立て、3本立ての映画館で。

日本では、ピンキーとキラーズが大人気。クロネコのタンゴもこの辺りか?
私の一番上の姉(4才上)は、洋楽が大好きで、夕方に流れる洋楽ランキングをいつもメモっていました。側で聴いていた私の耳にも何となく入ってきていたと思います。
その中でサイモン&ガーファンクルの曲は、沢山流れていただろうと考えると、意識の幼かった自分を悔やみます。
ただ、「明日に架ける橋」は毎日のように流れていたことを朧気ながら覚えています。ラジオの置いてあった場所まで・・・記憶の紐が解けかけるようでなかなか解けない曖昧な記憶・・・。
それでも確かに同じ時代に生きていたことを今になって嬉しく思うのですが、その頃の自分は、部活のバレーボールにかけていたのです。

おーっと、もうこんな時間・・・又(CDに)じっくりと耳を傾けながら仕事をしましょうか。

ブログは、本当に良い機能を果たしてくれる・・・好きなことを書いても黙って引き受けてくれる。なかなか外では話せない時代錯誤の戯言を大真面目に記録してくれるなんて、自分の気持ちを整理する為にも有り難いものです。恥を晒しているようでもありますが・・・・


昨夜の「青春アカペラ甲子園」のことを書こうか、なんて思っていたのにすっかり変更になってしまった。
それにしても、どのグループも巧かった・・・私はBam B Grew(メモしたのに読めない)だったか、「あの鐘を鳴らすのはあなた」が優勝じゃないかと思っていました。
じゃ〜んずが優勝!じゃ〜んずは、札幌の出身・・・それだけで嬉しくもありましたが。
アカペラは人の口から発せられる音だけなので、会場も静まりかえり、感動も一番深いところで感じ取るのかもしれない。
涙、涙の感動を呼んでいました。