くだらない

hitto2010-07-10

数日前の編集手帳(読売新聞)に、梅棹(うめさお)忠夫さんの句が紹介されていたhttp://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20100706-OYT1T01241.htm


「銀漢(ぎんかん)て 銀河のことか くだらない」と、ボヤキのような変な句だったが、これほどの人物(よくは知らないが、叙勲歴、大学教授、著作の多さ、人間大好き、御高齢)ということで、畏敬の気持ちを抱かされ、この人物の句か・・と、何度か逆戻りしては読み返してしまいました。



普通の人の句ならば目には止まらないのでしょうが、偉大な御方と思うと深いところで解釈しようとしてしまう。
「くだらない」ということは、本人にとって興味があるかないかのことだろうが、興味がなければ、この世のどれもが「くだらない」し、逆に興味のある方に深く考える人というのは、恐ろしくも偉大な人物に成り得るということなのかもしれない、と思う。


ある人は「サッカーって、球転がしのことか、くだらない」と読むだろうが、サッカーを愛する人の記事は、細やかな観察力、それに加え鋭い洞察力に驚かされるばかりで、結果状況を載せるだけの私のブログの記事とはおおよそレベルが違うもの。


それにしても、ある意味偏った見方をする人ほど、「くだらない」とぼやくことが多いのだろう。
何かに研究熱心であればあるほど、脇見をする暇などないということだと思う。
心血を注いで物事に取り組んできた人の言葉は、ひとつひとつが重く感じられる。


浅学非才の凡人の私やのに、実は「くだらない」と思うことが多いのは、これ如何に。
だからと言って興味のある方へ熱心に取り組むということもなく、暇な時間、ぼやくことばかり。
気取ってはいないが、言葉巧みなブログに出会うと、遂何時間も読んでしまう。
あそこにも、こちらにも、人間道の天才が数多く埋もれているようで、「くだらない」ということをくだらない成りに知るのは楽しい。
挙句、くだらない言葉を並べるのも楽しい。