ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ

hitto2012-04-12

ヴィヨンの妻松たか子浅野忠信、名コンビが放った映画(録画)を先日やっと観ました。
正しくは「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」2009年作品。


戦争直後の東京。才能ある小説家・大谷穣治は小料理屋「椿屋」に酒のつけが2万円たまっていた。12月23日頃に大谷は椿屋から五千円を盗んでくる。そこで妻・佐知は、その件を警察沙汰にしない代わりに椿屋で働かせてもらうことにする。佐知はその美貌から椿屋で人気を得るが、大谷はその人気に嫉妬し、客の一人・岡田と佐知の関係に疑念を抱く。大谷は愛人・秋子と心中を図るが未遂に終わる。・・・byうぃき



短編だった「ヴィヨンの妻」に他の太宰作品をミックスさせ、見事に一つの作品になっていたからビックリしました、そして人間太宰治に迫った描き方に興味をそそられました。
う〜ん、面白くもあり、悲しくもあり。
匙を投げたらいいような、どうしようもない男に、なぜにあそこまで寛容になれるのか女神のようなタンポポ
皆目分からないが筋は筋として、松たか子(佐知)のように時代背景とそこに暮らしていたかもしれない夫婦の物語として素直に受け取り、味わうことができたのだからいいのだろう。



摩訶不思議な人物だったに違いない太宰治という原作者に思いを馳せて、劇中の浅野忠信(大谷)を客観的に観察しようとして、ただ観ているだけの作品だったかもしれない。


理解不能だが、嫌なものと気になる(好きな)ものとが同じ意味を持つ瞬間だってあるはずだ、うまく言葉では表わせない。
大嫌いな男でも近くに寄れば情に流され、つい手助けをしたくなるような母性のようなもの。
実際、タイプじゃないと思うけれど、嫌われたくはない、無意識に相手を理解したいと思うのと似ている。
そして、好きなところを一つでも見つけ出せれば、そこしか見えなくなるから厄介だ。


律儀で誠実な人物ならば物語としてつまらなく感じ、それとは対極にありそうな危険人物。子供のようでありながら頭が良い・・だから退屈しないし面白くするのかもしれない。
しかし現実には振り回されたくないから、小説や映画で楽しむことが好きなのだ。

映画は戦後の様子を上手く伝えている。
粗末な家や町並み、人の身のこなし方、あの時代の言葉使いがきれいだし、佐知が貧しい家庭に育ったにしては信じがたいような上品な言葉が並ぶ。
松たか子さんが、また生き生きとした演技をしているので、好感度は高い。
個性の強いはずの他のキャストが、呑まれてしまっているように感じました。



浅野忠信(大谷)に裏切られた時も感情を抑え気味の表情で凄みがあった、口紅をさす姿は本当にきれいで見惚れるほど。
大道で大声を掛けるし肝も坐っていた。
気の強さと懐の広さ、実際には居直る強さみたいなものを持っていた。



作品にある言葉に違いないけれど、取ってつけたように「私たちは、生きていさえすればいいのよ・・」が、すこしワザとらしく、ただ手の平で遊ばせていただけだった、というオチがついたようなクライマックスになってしまった。

実際、あの困難な時代は、人にどう思われようと、生きてさえいればいいと、佐知さんのように思うことしか出来なかったと思うが。
逆に生きるのに必死だった時代のなかで、死んだほうが世のため人のためと思う大谷はやはりエゴの塊だと思うし、理解し難い。