ひなまつり

hitto2011-03-03

弥生、3月、ひな祭り。
木曜日のデイサービスの出席が始めてになるお爺ちゃん、お昼の御馳走は「雛ちらし」とあるので恒例の我が家のちらし寿司はやめておこうか・・と、ただ買物に出たくないのが見え見え。
お雛様も結局出さず仕舞い、自分の為に出すのは億劫。
仕事の傍ら、余り布を使って作った手製の雛人形を長女に持って行かせました(写真)。
腕と材料が乏しく、華やかさはないけれど、愛らしいお内裏様に仕上がりました、自己満足です。


受験シーズン、ヤフー知恵袋に問題を投稿した受験生の話題で持ち切りの紙面、テレビのニュースもNZの地震より長い時間を費やしている。
ネット投稿の送信記録を辿っていくと必ず本人に行きあたると思っていた。
携帯やパソコンを持った時点で個人情報は記載されたも同然だから、幼稚な子供の起こした事件だと思う。が、この子に行きつくまでの心理状態を思うと、やり切れない。
軽い気持ちで(事件を起こした本人は決してそうだとは思わないが、もっと切羽詰まった思いがあったのかも)ネットの中傷なども止めた方がよいという教訓にはなっただろうか。
不正は何にしても良くないことだ。

新聞には事件のそれとは全く違う「大学の実力」(心の支援)と題して記事が載っている。
大学の不登校生を対象にソーシャルワーカーの家庭訪問を地道に始めた大学があるとか書かれている。
大学の教授は「待つだけではらちが明かないので」と訪問を開始したそうだ。
それは良いことを始めたと・・読み進めた。
100人訪問して1人でも学校へ通うことができるようになるなら良いことです。


そこまでしなくとも・・という批判もあるらしい。
私が引っ掛かったのはその後の言葉。
コラムを書いたのは松本さんという女性記者?教授の言葉をそのまま書いたものか分からないが、批判の声に対して「では(学生を)社会のお荷物にしていいのか」と、締められている。
がっくりと、頭に血が昇ったようになった。

一般的見方に違いないのだから、こんな言葉に反応するところが了見の狭い人間なのだと自分でも分かってしまうが、それでは「社会のお荷物」って、どんな人間を指して言うのだろうか。
もっと過激に発言するとして、社会のお荷物で何が悪いのか。
世のなかは持ちつ持たれつで成り立っているのだと思う。
自分をお荷物だと思う人間なんて一人もいないほうがいい。
引きこもりやニート対策の訪問だと分かるが、行く先がそのまま社会のお荷物扱いでは短絡的だし失礼な発言だ。
批判している人間に対しての言葉だとしても、そのまま学生に聞かせられるような言葉じゃない、全く行きたいと思っても行くのを止めてしまうくらいに失礼な言葉だと思う。


人には成長過程があって、たまたまニートや引きこもりという症状を見せるけれど、秘めた志やエネルギーは皆それぞれが持っていて、何れ本人が解決の糸口を見つけるものだと思う。
大学に行かない理由は多くが友達が出来ないからかもしれないが、それだけじゃない。
それぞれが外に向けて口に出して説明もできずに思い詰めている状態なのだ。
言葉にして説明できるのは、それが過去の出来事になった時くらいじゃないのだろうか。
今や引きこもりやニートは学生に限ったことでもないし、社会人になってからも、主婦にも、悶々とする状態はくるものだ・・何か、問題が少しずれてきたかな。

しかし「社会のお荷物」という言葉事態が大っ嫌いです。