2号機、3号機も

hitto2011-05-25

ついに、というよりやはり・・というか、2号機、3号機もメルトダウンという発表。
地震津波は想定外の出来事だったけれど、メルトダウンの現象は想定内のことだった・・可能性はゼロではなく、大当たりしたということらしい。
長いこと、はっきりとした測定も作業も汚染された建屋の中では難しく、爆発の恐れも何とか治まり、炉心の温度が下がり安定している今になってやっと分かりました・・ということだろうか。
作業員の方には本当に頭が下がります。


しかし気になるのは、避難区域の方たちが何時になったら避難解除をされて戻れるのかということです。事故の検証は必ず厳しくされなければなりませんが、現在溶けてしまった燃料と汚染された水・汚染された廃棄物の処理・・それがいったい何時何処まで続くのかということ。


放射能汚染の広がりで、風が吹いて雨が降ると、どこどこの地で測定器の数字を発表されたりします。そのたびに過敏に反応してしまいます。
なのに数値に関しては無知で、放射性物質が測定されたということだけが頭に残り離れない。
匂いも形もないものに不安を抱えながら、すでに故郷を離れ移住を決めた人もいます。
美しい日本の原風景がなくなってしまうのでしょうか。
もやは何を持っても償いきれない事態にきていると思います。

毎日の朝刊のコラムに、震災復興の声援を各界の有名人が寄せています。
日曜日は、オノ・ヨーコさんでした。
ポップアートの巨匠アンディ・ウォール氏が訪日したあと「日本は未来の国だ。すごい!」と言っていました。
日本は今回の地震を経て、未来の国になっていくのでしょう。
みんなの力で、もっと素晴らしい国になると思います。

と、書かれていました。
それを読んだ時、再建復興に希望を抱きワクワクとした気持ちになりました。


思えば昔、修学旅行で訪れた大都市、東京、大阪は、私にとっても未来の国のように見えました。
高速道路や電車が一般道路の空を走り、何重にも交差し、その高さよりもはるかに高いビルが立ち並んでいました。
バスから眺めた景色は未来都市そのもので、幼い私は目を見張りました。
まさか、その時見た大阪に住もうとは、思いもしなかったけれど、心のどこかに未来都市への憧れはあったのだと思います。
札幌は冬季オリンピックに沸き、ようやく地下鉄ができた頃のことです。
今は札幌も未来都市の仲間入り、札幌駅周辺を歩くと迷子になってしまうくらいだけれど。


原発事故は、未来へ走り続けた結果なのかもしれません。
原発事故後、各国に様々な影響を与え続けています。
原発推進への懸念、原発事故収束までの日本の措置が注視されています。


先日行われた日中韓の首脳会談は、様々なパフォーマンスを見せながら、震災復興と原子力安全の協力を示されたりと・・両国の思惑は計りしれませんが、決してただの友好的な会談だったとは私には思えませんでした。
ただ、中国と韓国にとっては、自国の原発推進原発建設のため、日本の原発事故を見分共有し、それに事故防止安全策の強化を図ることで自国民にアピールすることにもなるし、原発推進のためには国民を納得させないといけないのだろう・・とか、いろいろ考えてしまいます。


今回は反面教師の日本の情報を得るための絶好のチャンスだったのだと思うだけで、全く原発から手を引こうなどとは思っていないようなのがとても残念です。
それに比べ、ドイツでは22年までに脱原発へとメルケル首相自ら言及したというのだから、日本の首相にも見習ってほしいなぁと思いました。
日本にだって自然エネルギーの開発研究を推し進める権威者がいてもよさそうなものだけれど、今はまだ推進派の蚊帳の外に押しやられているような感じがしてしまう・・・実際は、研究されているのだろうが、まだまだ実現には時間と資金、多分人材なども足りないのかもしれません。
日本にこそ、原発に変わるエネルギーを確立させて、反原発を実行することができたなら、それこそ世界に安心安全な未来の国として示すこが出来るのではないだろうか・・と、努々夢が実現しますように。