アイヌ文化フェスティバル

hitto2011-09-04

いつもの「のど自慢」がなく、今日は特別番組なの?と思っていたら、台風12号のニュースがつづけられた。
奈良県上北山村で1800ミリと、三重県大台町で1500ミリとか、紀伊半島全域が大きな被害を受けている。
川の氾濫が恐ろしい。
史上稀な・・いや記録的な数字、雨量が大人の身長以上に達しているとは・・普段は30センチくらいの川の水嵩が3メートルになって流れているとは、津波の威力と変わらない。
これでは土砂災害が相次ぐのも頷ける・・しかし天災とはいえ、こんな仕打ちはもうたまらない。
日本中のどこにいても安全なところはないのかと思うくらいだ。
雲の行方に腹を立ててもしょうがないけれど、これ以上日本を攻撃してほしくない。

そんな台風情報を気にしながら昨日は電車を乗り継いで「アイヌ文化フェスティバル」と「岡林信康 コンサートツアー 2011」を見に出掛けた。
ZEPP大阪は海岸近くにある建物らしく、普段でも風が強いらしい。
まもなく上陸するという台風を前に電車が動いているのか不安だったが、心配するほどの雨でもなく風も海岸沿いならば普通かなという程度で、岡林さんは強運の持ち主かと思った。



まずは「アイヌ文化フェスティバル」歌や踊りについてではなく、感じたことを。
ネットを見ると随分まえからこのような活動がされているのに驚いた。
私は道産子なのでアイヌのことは多少は知っていたつもりだったけれど、何も知らなかった・・というより、知ろうとしたことが無いに等しい。


その存在は幼いころから認めてはいたものの、私の周りに(アイヌの人が)いなかったことから本州に生活している人と似た感覚で踊りや歌を知っていただけのことだと思う。
北海道の先住民族というくらいの認識とアイヌの言葉で地名が残っていると思うくらいで、その歴史を知ろうとはしなかった。
ただ小学生の頃か、ジュニア小説かマンガか、多分悲恋の物語だったものを読んで、その民族への差別や、女性の痛いしきたりについては何となく知っていて、可哀想だなと思っていた。
けれど、それはもう昔の話で、今は日本人とアイヌとの区別はなく暮らせているのだろうと、随分と無関心でした。


それで今は踊りも観光地の客寄せみたいになっているから、きっとあれは観光組合か何かで、土産物にはアイヌの木彫りとかが沢山あることも同じだと思っていた。
若い時に阿寒や知床を旅行して知り合った木彫り職人は、本州からやって来た旅行者が住みつき、そのまま出店していたりと、アイヌ民族と日本人という垣根はもはや消えてしまっていて、アイヌ保存会の存在さえ知らなかった。


北海道開拓にともなってされてきた日本のしてきたことを学校ではまるで教わったこともなかったし、すっかり忘れているのかもしれないな。
ただ教わったと思うのは「ピリカ、ピリカ」の歌くらいだ。
しかし、「アイヌ民族の歩み」の講演を聞いているうちになんとも罪深い日本の一方的な政策にだんだんと腹がたってきたのでした。
きっと知れば知るほど残酷で、耳も目も塞ぎたくなるようなことばかりだったと思います。
土地と言葉、人権までも奪われた民族の悲しみに気付くことができなかった。
日本では最近まで先住民族という認識もされていなかった。
こんな明白なことを。


今回のフェスティバルは整理券を求めただけで入場は無料でした。
無料にして運営ができるのかしらと疑問に思いました。


アイヌの伝統的な踊りや演奏、独特な衣装についての感想が何も書けていないけれど、私にとってはコロポックル同様に親しみの持てる存在であることは確かです。


ピリカ ピリカ  タントシリ ピリカ  イナンクル ピリカ   ヌンケクスネ ヌンケクスネ〜♪


後日「岡林信康 コンサートツアー」のことを書いてみたいと思っています。
今夜はZEPP名古屋での公演、盛り上がっているだろうな。

読売新聞 日曜版
クロスワードの答え・・・・・トロロジル
数独の答え・・・・・4+8=12・・・12