今日は雨、小さな雨が降ったり止んだり。
外の気温は15度あるかなしか。
部屋は20度と意外と高い。
雨の日は、何もしないでおこう(できないしー)と、子供のころからの先入観で勝手に決めているところがあり・・外ではと、いうこと。
こんな日は訪問者もいないから、雨の日は気持が何だか落ち着くー。
ここのところ福島原発の地下貯水槽からの汚染水漏れが相次ぎ報告され、東京電力さん大丈夫なのかと、不安な気持ちでニュースを見ていましたが、こんな深刻な問題を抱えながらも、今日の新聞には商魂逞しく「トルコに原発輸出」の大文字が一面に・・原発ゼロとは国民の儚き思いでしかないのだろうか。
一週間ほど前の朝に、淡路が震源の少し強めの地震があったかと思ったら、今度は中国四川で再び起きた大地震。
5年前の規模に及ばなかったとしても被災した人の苦しみ皆同じ、命は一つしかないのだから。
地震の揺れは再びの大災害を連想させ、易々と眠れない。
そして、ボストンマラソンのゴール地点で若い兄弟が起こした爆弾テロ、この理不尽なテロに巻き込まれた方々の悔しさが、残された弟の心に届く日は来るのだろうか。
特に若い時に思いがちな、全てを社会のせいにしたがること。
自分の内に問い掛けることはしなかったのか。したに違いないだろうが・・
このような事件を起こす人は、自分があっての世の中だから、社会に対し憂さを晴らすだけで終わってしまう。
何れにしても世の中が好転するわけがない。
タカだか50代後半までしか生きていない自分でも、自己中で世の中を悪しきものと判断し、いくつか厳しいと思う出来ごとがあった。
それ程までに酷い仕打ちをされなかったのが幸いしたが、日々の報道から見る人々の生き様を自分に重ねては苦慮することは何度もあった。
この世の終わりかと何度も恐ろしくなった事件や災害。
これらは周期的に起こっている。
最近は多発していると感じているのは、それらに関心を抱きネットでも知ることができるようになったからかもしれない。
ネットには両極端な記事が必ずあって、正しい判断がつかないけれど、いつもニュートラルの状態にしつつ、口からポロっと出てしまうものが自分の判断だったかと、気付いた時に驚くことがある。
それが自分の欲していた答えだったのか、間違い探しの旅は先が見えなくて、時間もかかるし、遂には途中でどうでもよくなってしまう。
しかし、新聞とテレビだけでは、恐ろしい事件も場当たり的な反応しかなかったと思う。
人生90年生きてきた人はどうなのだろう・・戦前戦中戦後と世の中が引っくり返るような時代を生き抜いてきたことだけでも私の想像を遥かに越えてしまう。
あの時代にネットがなくて良かった。
今が平和の時代であるのは明らか、それでも現在、苦悩し生き抜いている人々がいることへも少しだが目を向けていきたい、そんな思いに自分はずっと前からとりつかれている。
何だか、こんな記事をあげる気はなかったのだけれど(流れに任せ)・・家族単位のことでも様々なことはあるし、毎日の人生相談を読んでいても学べるものがあるから、日々勉強できることが有難い。
内容が支離滅裂になってきた。
人生80年として・・まだまだ先が長いよー。