まだ冷房に頼るほどではないので、助かります。
今日は風が爽やか。
「地球劇場〜100年後の君に聴かせたい歌〜」
吉田拓郎さんが70年代初期に一躍有名になっていて、アリスがブレイクした時期「遠くで汽笛を聞きながら」がそれより数年後だったこともあり、アリスの楽曲にフォークソングのイメージはない。
あの頃でいうとニューミュージックの方に分類されてしまうのか、アリスが有名になった頃はもう私は結婚していたし、歌謡番組(ベストテン)の常連としてアリスが登場していました。
けれど、深夜のラジオはよく聴いていました。
10代の多感なころに拓郎や陽水、かぐや姫がいて、20代を過ぎたころに、アリスやツイスト、サザン、甲斐バンド、海援隊などと、グループバンドがメジャーで活躍していた。
拓郎の大ファンというわけでもなかったけれど、「落葉」はやっぱり一番好きな曲。
拓郎さんがアリスと、かぐや姫と組んだようにライブ共演とか絶対しないし、無かった、相容れない感じ。
アリスはハンド・イン・ハンド、拓郎は一匹オオカミ、音楽界の革命児と呼ばれたというし、1枚アルバムを出すたびに話題性があったから、チンペイさんは拓郎さんを芸能界という位置関係からも大先輩という捉え方をしていました。
今となっては、どこから見ても同世代という感じの二人だけれど、拓郎さんはチンペイさんを見てあからさまに好きじゃないという言葉を発していた、好きじゃないけれど、「昴」は良い、さだまさしも嫌なんだけれど、「雨宿り」が良い、なんて、フォローしながらも言いたいことを言っていました。
チンペイさんも(谷村さん)最大限の拓郎さんからの褒め言葉として受けとめていたし、本心は分からないけれど、一目おいた存在であったのは確か、2人とも年の功で丸く丸くなったってことかと思います。
迎える側のチンペイさん、流石に腰が低い、笑顔でなんとか拓郎さんに切り込んでいました。
番組が始まる前に「気合い入れて迎えましょう」と、スタッフに言っていましたから、気合いというか気使いが相当入っている感じで、拓郎さんは意識してか努めて自然体でいるようでした。
丁度、拓郎さんが小田和正さんを迎えた番組と裏腹な感じで、ホストとしての常識というより、どちらも角が取れた大人の対応であった模様、、わかんないけれど。
この世代、テレビ局の傲慢さに相当イライラした人が多いのか、小田さんも言っていたけれど、あの時代「歌わせてやる」って態度が心にしこりを残しているようでした、拓郎はテレビ嫌いだし、それを逆手に出演しないをモットーにしていた、なのでテレビは分かんないとか何度も言っていました。
今回はツアーを始める腕慣らし的な感じで、今現在、大阪のFMラジオでも毎日拓郎さんの新曲「純情」が流れていて精力的に頑張っているようです。
スタッフの世代が逆転して、拓郎さんや小田さんたちが年上になったことで態度が180度変わり、随分と待遇が改善されたようです。
テレビ局に限らず、人間は弱い者には厳しいのかもね。
それでも彼らが歌い続け今も現役続行ってことが凄いし嬉しいです。
今の子たちでそんな骨太な人はいるのかな、いるとしたらテレビには出演しないか、でも60代、70代と頑張っているアーティストを目標にしてしぶとく歌い続けてほしい。
40年、50年、歌い続けるってやはり凄いことです。
話が全然進まない・・
2人が始めて交わした話から
拓郎さんに受けたのは「うんこたれ」って話で
拓郎「谷村が近い人になった」自分は我慢できた
「固いね」
「谷村、いくつ?」
「その話、やめよう!」と、ダメだしされていました。
用意していた始めのとっかかりの話としては、チンペイさんらしいというか、チンペイファンなら、聞き飽きた話とも思うけれど、寄りによって何で最初から落とすのか、この辺は私にも理解不能。
この企画が谷村の持つ番組で嫌だったが、企画が勝ったから出演した、谷村が活躍するのは風のうわさで知っていた。
「昴」が凄く良い曲だって思った。
同級生がみんなカラオケで歌っていた。
谷村「一緒に演奏できるまでに時間はかかったけれど、良かった。こうして出会えたのは、縁なのかな?」
拓郎「縁は、ない!」と、きっぱり。
街の人に聞いた拓郎の好きな曲。
「結婚しようよ」1972、「旅の宿」1972、「流星」1979、「人間なんて」1971、「落葉」1973。の5曲。
歌ったのは、最初に「落葉」、なんか、やはりカッコ良く決める人だった、年齢を感じさせない。
地味にボイストレーニングとジム通いをしていると恥ずかしそうに話していたが、これって小田さんの助言があったからって「YOKOSO」の対談を思い出していました。
高2のとき、ボブディランが好きだった、自分も歌えると思った、母親にウクレレを買ってもらった。
「襟裳岬」の森進一さんとのエピソード、曲のイメージが随分と変わってしまったことへの驚きとか。
全国ツアーや、7万人が集った「つま恋野外コンサート」とか、音楽界に革命を起こしたっていう話は有名だそうだ。
それより以前の中津川フォークジャンボリーの流れがあって拓郎がいる。
その時の雰囲気とか本人の口から聞いてみたかったなあ。
岡林派、拓郎派、なんて話が「岬めぐり」の山本コータローさん(VTR)から出てきて、伝説のフォークジャンボリーのことをもう少し聞きたかった。
フォークジャンボリーの話に拓郎派って、私はあまり聞いたことがなかったなあ。
岡林信康さんや三上寛さん遠藤賢治さん、加川良さんや友部正人さん、あの時期の話を掘り起こして欲しかったなあ。
「流星」を作ったときの意味合いと、違う受け取り方をされた話、「結婚しようよ」のレコーディングの時、音楽プロデューサーの加藤和彦さんが音楽の師匠的存在だったってこと、阿久悠さんに書いてもらった「人生これでいいだろう、いや、まだ足りない」っていう詩がお気に入りだったとか。
筒美京平さん作曲、松本隆さん作詞で歌いたいとか、御三家の中では橋幸男が好きだったとか、そうそう、中尾ミエさんの大ファンで昔ファンレターを出したとか、モモクロに廊下ですれ違っても何の反応もなかったとか、若い人にうけたい!とか。
「落葉」を越えられないけれど、少しでも近付きたいって話。
68歳で全国ツアーを始める、病気がどうとかより、年齢的に2時間半を耐えられるかって方を考えている、今を真剣に取り組む、歳をとるとこうして(準備するために)やることが増えるってこと、などなど。
最後にチンペイさんから詩をプレゼントされていました。
それに曲を付けるかは拓郎さん次第なのですが、是非聴いてみたいです。
「本物だね、本物は感動を呼ぶんだね」と「(チンペイさん)歌がうまいね」と、しきりに感心。
次の世代へのメッセージと言われ
「ちっぽけだけど、どこかで参考になっているかもしれないので、僕たちを見ていてね」と、言っていました。