家族形態

hitto2014-08-18

今日は快晴。

大型台風11号が去って、信じられないほどに涼しくなったかと思ったら、今度は大雨。

私の住んでいるところは大した雨にも見舞われず被害はなかったけれど、福知山市街地は一日の雨量が300ミリを超えたとか、京都、綾部、丹波市なども大変な被害を受けたようで街並みも畑も軒並み水浸しになっています。

豪雨と言っても近頃の豪雨は観測史を塗り替えるほど半端じゃないことに、ニュースを観る度に驚くばかり・・しかも大勢が楽しみにして集まるイベントや帰省ラッシュのど真ん中で、今年のお盆休暇は傘を手放せませんでした。


これは単に日本だけに起きている事ではなくて、今回の豪雨災害はネパールやインドでも死者100人を超える被害があったとか、地球を取り巻く大気に何か異変があるんじゃないかと思ったりします。

今日からまた退屈な日常に戻ることにホッと一息付いています。

大したストレスも抱えていないはずなんだけれど、久しぶりに開くパソコンがあまりにも起動に時間が掛ったためか、キーボードを打つ手が勝手に天候に八当たりするようで、やはりバランスなのだろうな。



久しぶり、今年の夏休暇前半は目まぐるしく過ごしました。

家族が増え、長男も顔を出し、若いころの私ならパパッと何でも出来ただろうけれど、何せ長いこと楽をさせてもらったせいで、大家族の食事の準備ってのを思い出すのに随分と時間と手間が掛りました。

大層なことは何もしていないのだけれど、量が。

総勢8人か・・立ちっぱなしというか、自分が座る位置には誰かが座り、お父さんも横になるスペースさえ確保できない、そうかと言って食べて飲んで騒ぐことに飽きると皆が段々と暇になる。

ちびっこが一人いるので、和やかではありましたが。

12日は皆が泊まり13日はお墓参り、


各自バスタオル一枚の洗濯と、汗だくでお墓参りから帰った後のシャワーと、どんだけバスタオルを洗ったでしょう。

洗濯ものを干すときに、私はジワッと幸せを感じたりするのでいいのですが、それも13日の夜には解散。

寂しいだろうな・・って、自分も皆も。

それぞれの持ち場に却って明日から頑張れるのかな。


それにしても、子供がまだ小さかったころに私たち家族が大勢で札幌の実家に身を寄せ、それに伴い姉妹たち家族が集まると大変な人数でした。

それを母や姉たちが食事の準備、私と妹は片付けと、あの時の母の年齢と今の自分を重ねたところで、私とは全然比べようがないほど大変だったんじゃないかと、今頃になって母の偉大さが身にしみてきたりします。


人は24時間、何かしら行動して人と何らかの関わりを持つものだけれど、こうして一人の時間を持つってことも大事、というか絶対必要。
誰の視線にも触れず、ただ好きなことのみに時間を費やす、こんな贅沢な時間だって時と場合によるものだけれど、バランス良く両方を楽しみたい。




昨日は里帰りしていた友人たちが訪ねてくれてお土産持参に土産話、珍しく外で会おうかなんて気を使ってくれたけれど、真昼間のうだる暑さに車に乗り込むことさえ億劫で、やはりというか、半ば強引に我が家でお喋り。

男の子ばかりの3兄弟、真ん中の子が今秋めでたく結婚が本決まりとかで、悩みが尽きない様子。


私の回りもどんどんと家族形態が変化してきています。

ありふれた形態ほど今は珍しく感じる。

夫婦二人住まいの友人も案外と多くなり、互いに干渉し合わないように1階と2階にプライベートルームがあり、日中殆ど話さないとか。

近所の親しくさせてもらっている御夫婦は愛娘が三十路を過ぎたころに一軒家を構えていて、両親の隣の家に長いこと暮らしていたのだけれど、40を前に結婚、空いた娘の家に妻が移り自由を謳歌していたり。


そうかと言えば、4人の子育てが終わった私と同期の友人は、子供が全て独立した後、老親との同居を決め駅前近くに引っ越したまでは良かったのだけれど、夫の両親と自分の母親、それに夫の父親の妹までもが同居し、今や立派な介護士なのよと大きな溜息をつき話していたり。


一番びっくりしたのは、娘夫婦と同居を決めて家を新築した友人は、4・5年後に夫の母親(姑)と独身の義弟が彼らの近くに家を購入し、越して来たのだけれど、一年もしないうちに姑が亡くなり、友人夫婦は娘家族(子ども二人)を置いて、今や独身の弟と同居する羽目に。
三度の食事の準備は結局友人の手に係り、夫が2人いるようないやはや何とも奇妙な同居が始まったそうで、とても自分と置きかえては考えられない生活。


これから家族の形態はどんどんと多様化していくものかもしれません。


そんな風に考えてみても、結局は一人になることを考えていたりします。