悲しいできごと

hitto2011-01-21

朝は寒さに震えていたが、今は快晴で風もなくいい天気。
前回のブログを読み返し、何を馬鹿なこと言っちゃってと、自分で突っこみをいれている・・が、これはこれとして削除はしないでおこう。
あれから気持が随分と躁に向かったのか、昨日の自分を反省しつつ、多分開き直りだ。と、しても気持はゆるいゆるい波の上をぷかりぷかぷか浮いているようなものだから、大波が来なければ良しとして、波に揺られるがまま。
今だって世のなかには大波で本当に泣いている人がいる。
どんな荒波も結局は自分で立ち向かわなければならないし、そんな時は誰の慰めの言葉も心に届かないだろう、誰だってそんな時があるのだから、回りはそっとそっと大事に見守るのがいいのだろうと思う。


あんまりだ・・と思う出来事があった。
昨年(夫の)職場結婚をした二組の御夫婦、4人は同僚ということです。
結婚もひと月と違わずに同じように妊娠され、さあ今月出産という目出度きことこの上ない筈が、一組の方が死産という悲しい結末を迎えなければならなくなった。
どんなに悲しかろうか苦しかろうかと、母親である自分を責めてはいないだろうか、胸が痛くとも赤の他人である私が掛ける声などない。
赤ちゃんが生まれた御夫婦も、辛い思いでいただろうなぁと。


私は末っ子がお腹にいたころの辛い出来ごとを思いだしていた。
住居の並びに、私の末っ子と妊娠月数が同じだった御夫婦が住んでいて、3番目ということもあって、家族にはそれほど歓迎されてはいなかったが、子供を宿す母親の同志として、それは、それは、互いに喜んでいた。
なのにその方は安定期に入る前に突然流産してしまった。
互いに3番目の子だったが、こればかりは自然の成り行き、誰を恨むこともできない辛い出来事でした。
今は引っ越されたが(夫の転勤で)、その方が「丈夫な身体でなければ産まれてはいけない。弱い子なら産まれてこなくて良かった。(母親の)私を思って去って行った」と、確かそんなふうに言っていた。


この方の最初の子が自閉症だったことで気苦労が重なっていたのは事実で、ずっと健康体であることに人一倍拘っていたという事情があったかもしれない。
その時の私は、掛ける言葉を失っていた。
きっと私を気遣って言った言葉だったのだろうかとも思う。
そんな幸せを奪うようなこと、どんなにか大きくなる私のお腹を見るのが辛かっただろう・・・、今も時々元気だろうかと思い出すことがあるけれど、多分元気にしているにちがいない。
私には頼りがいのある姉のような人だった。
子供を逞しく育てていたし、私はこんな素敵な女性だから母親として選ばれ、自閉症のこの子を迎えたのだろうと思っていたほど。
私に次男が生まれたころには、しばしば(私の)長女を預かって我が子のように遊ばせてくれたりもした。
長女は、我が家に帰りたがらないほど居心地が良かったのか、連れて帰るのにとても難儀したのです。
良い関係であるほど、残酷な仕打ちだったと思う。