真面目に考えてみる(安保法案)

hitto2015-06-17

午前中は爽やか、昼からは暑くなりそう・・もう夏だもの。



W杯アジア2次予選、ハリルジャパンはシンガポールに惜しくも0対0の引き分けでした。
昨夜の試合は本当にストレスのたまる試合でした。
一番悔しかったのは選手たちに違いないのだろうが、次こそは頑張って。
ホームが逆にプレッシャーになったのかな。
負けなくて良かったと思う。



一方、W杯一次リーグのなでしこジャパンは、エクアドルに1対0で勝利。
決勝トーナメントへ進出。
冷静な分析をする人が多いけれど、貴重な1点。



今日の朝刊の読者投稿「気流」に安全保障関連法案の審議について、賛成意見、反対意見と対比させて掲載されていたのでとても興味深かった。

そのどちらも力強い自分の意見を持っていました。
このお二人も安倍総理にしても、戦争体験やその匂いさえも知らない私世代。





集団的自衛権の限定行使(行使容認)って、いったい何ぞや?と、未だに理解できない私。
偉い憲法学者さんが違憲と言ったところから野党や平和憲法支持者からの凄い反撃がなされている。



世論もこれを境に反対意見が増えた印象。

今までは「日本国憲法のもとでは集団的自衛権は行使できない」が疑う余地もなく正しく、憲法九条の、戦争、武力の行使、武力による威嚇すべてを放棄する・・とあるので、違法と言えば「その通り」と頷く人が多い。



根本の解釈がまちまちで自民党の訴える法案が無理強いしているように感じる人が圧倒的に多くなってきているが、それはそれで不安。

今現在、日本の平和が脅かされているとは考えられない人が多いってことなのかな。

北朝鮮の核や中国の領海侵入などのニュースがあっても実際に危機感を抱く人はそんなにいないということか。




当然のことながら私も政治的なことなど脇に置いて日々の暮らしに忙しく自分の平和が脅かされなければ危機感など持つものではないのだけれど。
だからと言って法案に反対する極一部の人が「日本が戦争できる国になる」といったような意見には何でそうなるの?と、拒否反応を起こしてしまう。
戦争はしないと言って起きないという確証もない。



やはり安保法案も、ましてや改憲などもっての外か・・時期尚早なのか何れ必要となるのか。




丁度読んでいた本の中に
大多数が容認するのはその折おりの社会制度なのであってそれが何主義(例え軍国主義でも)であっても構わず、いちばん大切なのはその時その時の自己の意識が無理なく制度の中で落ち着いているかどうかであり、それを確かめる為にこそごく些細な他人の反逆的改革的言動をあげつらい騒ぎ立て無視し排斥し断罪するのだ。




反逆的改革的言動をあげつらい騒ぎ立て無視し排斥し断罪・・というところは横に置くが、

その時の自己の意識が無理なく制度の中で落ち着いているかは、妙に納得している。

対立しながらも多くの人が落ち着いて見えるのは、今の世の中が落ち着いているという証拠のような気がする。



ネットの中ではその対立は激しさを増しているが。
どの情報も鵜呑みにはできないけれど、確かなのは中国、北朝鮮は脅威であるということ。

やはり何らかの抑止力は必要と私は思う。




平和憲法があれば安心などと考えるのはやはり年配層かと思う。

大阪維新住民投票でも感じたけれど、暮らしに何事も起きなければ現状を維持するのが一番と考える人は一定数いて頑固だ。


交通事故が起きなければ危険な道路にいつまでも信号が設置されないのに似ている。
交通事故が起きるのは想定外であるはずがない。