ALWAYS、3丁目の夕日

昨日の2時前、もの凄い、雷とともに、凄い勢いで雨。
恵みの雨か?
長い事続いていた様な気がしたが。


次男に、借りてきて貰ったDVD、「ALWAYS、3丁目の夕日」を見ようと思ったとたんに、雨がバラバラと降り出し、音声が聞こえない程の降りだった。

出窓をバックにしては、かなりの雨音でかき消され、しょうがなく、文字付きで観賞。
時間も限られているので、仕方がない。


戦後の昭和30年過ぎ、丁度私が産まれた頃の話だと思うが。
懐かしいと思う、あれこれが、次から次へ、画面一杯に映し出されていた。

日本アカデミー賞を独占した映画なので、期待も大きかった。
話もテンポ良く進み、無難な終わり方かな?
テレビや冷蔵庫が普及する頃なのだ。

50年後の、今だから思うのかも知れないが、あの頃はどんどん時代は進化して、何か、希望に満ちていたような気がする。
その時代に生きてきた人達は、どん底だと思う人が、多かったかも知れないが。

時代背景こそ違うが、昭和版、無法松の一生の様な、人情味豊かな場面も沢山あって、良かった。
クライマックスで、茶川竜之介が子供と抱き合うシーンは、さすが、「北の国から」で鍛えたジュン君の演技が光って良かったです。


この前、新聞に、団塊の世代に流行っていた、歌謡曲「高校3年生」について書いてあったけど、戦後から、十数年は、やっと日本が敗戦から立ち直り、まだまだ貧しい家庭が多く、高校へ行かない子供が、約3割は、いたと書いていた。

その3割は、自分が行けなかった、ヒット曲である「高校3年生」を複雑な思いで、聞いていたのだそうだ。
その事を思うだけで、胸が詰まる。
行きたくても、行けなかった時代。行けるのに、行かない子等。
なんて、時代は不公平。

脳天気に「高校3年生」を歌っていた私はまだ、小学生だったと思うが。
当時の御三家って、超人気があった位にしか、覚えていないわけで。

多分、映画に登場する小学生が、団塊の世代なので、それ以前のロクちゃんの世代は、子沢山で、もっと、暮らしに余裕が無かったのだろうな、なんて、色々考えさせられた。

その時代に生きた人々は、今も健在だろうが、現代が、いかに複雑に入り組んで、物質的に豊かではあるが、気持ちの上では、貧しく、疑い深く、病んだ人間が多いことか。


いつの日を境に変わったのだろう。

自分の苦労を我が子にさせたくなかった、つけが今、回ってきた様な気もする。
若いうちの、苦労は、買ってでもした方が良いと、ことわざにも有るではないか。
自分も含めて、手遅れに、甘やかし過ぎた、我が子の未来を考えたい。