阪神大震災から12年目

hitto2007-01-17

水曜日・・・雨
阪神大震災から12年目。

新聞の読者のページでは、「私は忘れない」と題して、体験談を特集していた。

あの日は、大阪もかなりの揺れがあったが、神戸や、淡路に比べると、天国と地獄程の違いがあった。

あの日の朝の映像は、この世のものとも思えないくらい残酷なもので、それが現実に起きてる事に震えがきていた。

最初に流れた、テレビや新聞の被害状況があやふやで、日を追うごとに何百人単位で被害者が増え続けていった。

いったいどれ程の人が被害にあって、亡くなられたのか?(実際には死者6434人)毎日送られる被害状況に感覚が麻痺していくようだった。

生涯忘れられるものではない。


関西圏というだけで、札幌の親や姉妹、友達が心配して電話があったが、「ああーやっと通じた」と皆同じ様に安堵した反応で返ってきたのを覚えている。

声を聞くまでは、安心出来ない程の状況だったと思う。

あれから12年早いものだ。

下の子がまだ幼稚園に行っているころだ。


同時に、その震災が起きて、電話が繋がった頃に、尼崎にいた友達に安否を確認した。

地震の被害は怪我や住居に支障がある程では無く、安心したのだが、その友達が、その前の年の秋頃の健康診断に引っかかり、自宅療養中だった。

後で分かった事だが、肺ガンの末期だったらしい。

暫くして、その友達の奥さんから亡くなったと連絡が有り、あまりに若く、早すぎる死に相当のショックを受けた。

震災の日が来る度、その友を思いだす。

噺家風の語り口調で、静かに面白い事を話す人だった。

因みに私と誕生日が一緒だった。