死の恐怖・・・

hitto2007-04-20

何事も無かったように、普段通り一家団欒の日常が戻ってきた。

朝の忙しさも戻り、用事が時間通り片づけられる。

誰もいなくなった部屋で、早く仕事にもつける。

平凡な主婦の一日だ。

子供達も自分の事が忙しく、親に依存する事も少なくなった。

経済的援助は、まだまだ続くけど。

その分、おじいちゃんに対する比重が大きくなった。

突然、何が起きてもおかしくない年齢だと覚悟しなくては。


今までにだって、色々あったけど、自分の前に訪れるであろう「死の恐怖」は、恐がりな私には耐えられるか・・・。
幸いな事に夫や子供がいるので、心強く思っているが。


20歳の時、母一人、子一人の友達のお母さんが突然倒れ、私は急いで病院に駆けつけた。
既に母親は昏睡状態で、娘である友達には、死の宣告がなされていた。
気丈に「もう、ダメなの」と言った友の言葉が信じられないくらい、しっかりして見えた。
偶然、見舞いに行った2日後に、私まで病室に入れられ、臨終に立ち会ってしまった。
前後の事は、よく覚えていないが、葬儀が終わって、ある日突然、私の片方の耳が聞こえなくなってしまった。
突発性難聴だった。
といって、辛うじて聴力は弱くなったが、回復して聞こえるようになったけど。
この友の事と結び付けるのは、かなり日にちが経ってからだが、考えられる原因は、この臨終のショックだったのかも?と思える。


私は恐がりだ。
母の死も、父の死も看取れなかった親不孝者だが、内心、臨終には立ち会いたくなかった。
出来るなら、死に顔さえ見るのは恐い。
身内なのに。
悲しみは勿論深く、死を認めるのは、とても辛かった。
死んだ人間が恐いのは、あまりに幼稚で、表に出すことはなかったが。
ただ、父が死んだ時は、猛吹雪で飛行機が飛ばず、葬儀にも間に合わず、やっと着いたのは、火葬へ向かっているところだった。
この時は、何とか辿り着きたくて、(書き込むと相当時間がかかりそう、なので)省略。兎に角、私達が父に会ったのは既に、火葬されてからの父でしかなかった。
これは、きっと怖がりの私の性格を父が知っていて、わざと遅らせたのかな?と、父の写真に向かい、聞いてみるが・・・
「お前が恐がるのは分かっていたさ。病室に見舞いに来た時もお前は恐がっていたし、声を詰まらせて話しも出来なかった。いいさ、父さんは、もう死んだんだから、死に顔なんて見ることはないさ、それより、しっかり暮らせ」と言っているようだ。


私は、姉妹の中で、一番の父さん子、一番遠くに暮らしていたが、一番、父の話しが聞けた娘だと思っている。
絵を描いてくれと頼まれて描いた白百合(父のリクエスト)の花。
父の一句
「額縁の 白い花より 浮かぶ娘の顔」・・・
チラシの裏(白い紙)に書かれてあった。
死後見つけた時、他にも娘を思う句がいくつかあった。

初七日まで滞在していた、すぐ上の姉と私は、始めて声をあげて泣いた。