命の重みに比べたら・・・

hitto2007-08-24

いくらか暑さの峠を越えたようにも思えるが、依然部屋の気温は33度を指しています(11時半)西日が当たる頃には、やっぱりクーラーをかけなければ・・・

今朝の朝刊・・・政府公報by財務省
「外地からの引揚者の皆様へ」・・・と見出しが入っていました。
税関では、終戦後に外地より引き上げてきた方々からお預かりした通貨や証券などをお返ししています。最寄りの税関までお問い合わせ下さい。
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おじいちゃんが、朝食の時に何気なく「こんな記事があるけど、取りに行く者なんかいない!バカらしい!」と私に言う。
何のことか?全く理解不能の私だったが、渡された新聞を見て、「あ〜、この記事か〜」と聞くと、おじいちゃんがシベリアへ抑留された時に、持っていた金銭(約250円)を軍に没収されていたのです。
日本に戻り、かなり後からその金銭を返却するので取りに来てとの知らせがあったらしい。 だいたいの人達は、50円前後を持っていたらしく、その中でおじいちゃんは、250円とは(ちょっと自慢?)結構持っていた方でした。

現在の貨幣価値に換算など出来るはずもないのですが・・・昭和20年に「はがき」1枚5銭・・・現在は、50円なので、当時の100円は、もしかして10万円です。
それが、21年には、1枚15銭となって、100円は、3万円強になってしまいました。
そして、22年、23年、・・・30年、40年・・・現在と、貨幣価値がどんどん変わり、額面だけ考えては、当時としての価値の返金ではないのです。
現在に至って、250円をそのまま、交通費を使って受け取りに行くなどあり得ない、というお話しです。
それとも、当時の貨幣で返してくれるのでしょうか?その方が、古銭としての価値はあるのかしら。でも、そうではないらしい。
帰って来た23年頃には、5分の1程の価値だったわけで、すぐに返還されたならまだしも、何十年もたってからとは、お粗末な話しです。
・・・と、おじいちゃんにとっては、忘れてしまいたい話しを蒸し返されたような思いなのでしょうか。そんな価値よりも、命拾いをしたことが、どれ程価値有ることだったでしょう。
戦後の生活基盤の建て直しは、現在の想像をはるかに越えてなし得たことだったと・・・思います。
その時代を懸命に生きたおじいちゃんが、命の重みに比べれば、没収された金銭等、とうに忘れていたのでしょう。
それとも、「あの時の250円・・・」と、悔いが残されているのかもしれない。