秋の夜長にしたいこと・・・?

hitto2007-10-11

天気予報にない雨がチラついている。
迷いながらも洗濯物はベランダの寄り内側へ干し、晴れるのを待つ。
これが家にいる者の特権?・・・務めだろうか。外は明るい、そのうち気温も上がってくるだろう。
今、午前10時半、間もなく生協の車が着く。仕事をするには、中途半端な時間なので、パソコンの前に座って珍しく早めの書き込み。

平々凡々に暮らす我が身に特別な事が起こる筈もなく、ダラダラとキーを叩いている。そのうちトンデモナイ事が起こるかも?・・・なんてこともなさそうだ。
小泉さん(元総理)が言っていた。「人生には、上り坂と下り坂があります・・・が、もうひとつ、(まさか)という坂がありますよ」「まさか」と思う事件が新聞を賑わすこのご時世に、我が家だけが例外ではないだろうと思うが、起きてもいないトンデモナイことに悩むのは時間の浪費だ〜、どうせ時間を浪費させるなら楽しいこと、為になることで費やしたい。

我が家の本棚には、とても不釣り合いな本「死霊」(五章までの単行本)がある・・・第九章(1995年刊行)まであるらしいが、埴谷雄高(はにや ゆたか)の世界でも類を見ない難解な小説を半世紀にわたって書き続けた作家・・・と9日の読売新聞で紹介されていた。

「自分とは何か」「全宇宙における存在とは」・・・一貫した思想(自同律の不快)は「私が私であることは不快だ」という意味らしい。

冒頭に難解とあったことで、それを理解不能であった若かりし日の自分を慰める言い訳に出来たような。
元々、私のではなく、お父さんが買ったものだが、読破したのだろうか? 多分読んでいたのだろう(本には、手製のカバーがかけられている)
20代の若さでは、とても難しかっただろうな。

今ならどうだろう?と上段の棚から引き出し、手に取ってみた。
恐ろしく長い・・・が、興味はある。
秋の夜長を読書三昧とはいかないだろうが、暇を見つけて読んでみようか?
人生は短いようで長いものだ。
自分の生き様とどれ程の開きがあるのだろう?「存在」などと考えるには、あまりにかけ離れた生活だが、そのギャップも又良い刺激になるのかも?

お父さんは、読書が好きだが、こういった類の本が好きだとはどうしても思えない。
本棚は、五木さん、柴田さん、大江さん、小松さん、清張さん、安部さん、山田さん、筒井さん、椎名さんで大方、占められているし。