敬老の日・・・

hitto2008-09-15


ウルルンが本当に終わってしまった・・・とても残念です。


台風が接近しているそうだ・・・大きなお玉杓子の天気図を見るのは久しぶりという気がする。
今日は敬老の日・・・ 大阪府の高齢者数、100歳以上になるのは1934人で、昨年より211人増え、過去最多を更新した。内訳は男性238人、女性1696人。最高齢は大阪市内の111歳の女性・・・(読売新聞より)

一昨年までいた我が町の100歳の男性が亡くなって、今年は100歳以上になる人はいないらしい(お爺ちゃんより)
約8割以上が女性なんだ・・・100歳以上がそんなにいることも凄いが、女性がそんなに多いのにも驚き!


お爺ちゃんが「100歳になるまで、後何年?」と尋ねる・・・お父さんが「あと13年」・・・と軽い気持ちで答えるのを私は新聞を読みながら聞いていた。


何故だかジワッと涙が滲むのは何故だろう?
お世話というお世話はしていないが、後13年続くと思ったからか・・・お爺ちゃんと暮らすことで、拘束されることが日常の中には沢山あるので、13年という響きが重く感じたのか・・・。
亡くなるのを望んではいないが、普段の生活の中では、先の事を意識なんかしていない。
ただ漠然とお爺ちゃんがいなくなったら・・・あ〜しよう、こ〜しようと考えることはある・・・人生の区切りがつくのは確かなことだし、それまでは頑張ろうと自分に言い聞かせています。

ただ・・・お爺ちゃんが100歳になるのを両手を挙げて目出度いと言えるのか・・・どうか。
私の人生も終わってしまう・・・等と考えるのは自己中だからか。
それとも、友人Kさんの話しを思い出してしまったからか。

(もう20年近く前の話です)Kさんの嫁ぎ先には、お姑さんと、その上の大婆ちゃんが暮らしていて、4世代が同居という賑やかな大所帯でした。
実権は大婆ちゃんが握り、お姑のお婆ちゃんは長い間、大婆ちゃんに使え、家族を守ってきたのです。
世代が違うと立場も大きく違うのでしょう。明治生まれのお婆さんが厳しかったのは、容易く予想がつき嫁の立場も断然弱かったのかもしれない。

お姑さんは、大きなお婆ちゃんが病に伏し看病に明け暮れた末に、立派に葬儀を行い見送ったそうです。
その時はKさんも言われるままにお手伝いしていたそうですが・・・1年もしないで、今度は後を追うように、お姑さんが亡くなってしまったのです。
若いKさんが、1年前に葬儀を手伝わされた、まだ覚え立てのことを思い出しながら引き継いで行ったそうです。
旧家の葬儀は自宅で行われ、女の人は裏方で大変なようです。来客用の賄いの準備や接待と悲しみに暮れる暇がないそうでした。


私が哀れに感じたのは、お姑さんの人生でした。
少なくとも後20年は長生きして、自分の思い描いた人生を送ることができたなら・・・と。
見て聞いたわけではないので、それなりに楽しいことも沢山あったに違いありませんが、自分を犠牲にしてきたことも多かっただろうと勝手に解釈してしまうのです。

それを自分と重ねることは愚かなことでしょうが、老人介護はやはり人ごとではありません。
今の世の中に100歳を迎える老人を何世帯の家庭が在宅で世話をしているのでしょう?
100歳の親を持つ子はおそらく80代〜70代・・・既に高齢者の仲間入りです。

頭では解っているのです・・・寄り添うことがどんなに安心感を与えているのか。
自分の親に出来なかった事を充分ではないにしても、しようとしていること。
それを当たり前と感じていながら、後13年なんて思いたくなかった・・・ただそれだけ。


女の人の多くは(私の世代)、自分の親の老後を看ることが出来ずにいる。
遠くにいて時々帰る友人の話を聞くことも多くなりました。

これからの時代は、結婚もせずにいる娘や息子が多く、それも又考えものです。
子供の老後を安心してあの世とやらで見守ることが出来ない。