ネットで墓参り

hitto2008-10-21

クライマックスシリーズ、第2ステージに上がって来たのは中日でした。

何だか去年の流れと同じになってきた・・・今年こそリベンジ出来るように祈ります。ガンバレ!ジャイアンツ!

昨夜は緊迫したゲーム展開でした。
試合終了と共に(夫の)携帯電話が鳴り響き、互いに阪神を健闘し合うメール交換・・・今年が終わった、そして岡田監督もよくやった・・・と、何かい?日本シリーズの行方はどうでもいいの?
中日は侮れないから、巨人も危ない・・・なんて、かなりショックを受けた様子。


朝刊(読売)一面に記された「日本の知力」パソコン墓石「翔天」磁気カードを読み取り機に挿入すると、故人の映像などが映し出される仕組みだとか。
島を訪ねると懐かしい風景のなかに約500区画の墓地が広がり、アバターを操作してお墓の前まで進み手を合わせ、お花を捧げるんです。
ネットで墓参り。


ここまで来たか・・・と、まだ、とてもついていけないという感じ。
千の風になって」が大ヒットしたことで御先祖様に対する思いが変化したのか。
「私のお墓の前で泣かないで下さい・・・そこにわたしはいません・・・死んでもいない・・・」 風になって、光りになって、鳥になって、雪になって・・・

そんな歌詞に私も癒される。
両親の墓は遙か北国の大地にあり、すぐにはお参りに出掛けることが出来ないからか、こんなに身近なところにいて私を見守ってくれていると思えたら慰められる。

でも実際には写真を眺めたり空を仰いだりして故人と話をしている自分に気が付く。やはり、父も母も墓地にいるのです。
私の心ではそう理解していて、ただの骨となった父と母でも墓地の下に埋められ、何れ土に帰っていくのだろうと・・・目にした納骨の光景は鮮やかに脳裏に浮かび、両親の眠るその場所は特別なもの。

ネットの中に故人の写真を写したとしても、それはアルバムを開いて眺めるのとなんら変わりがないような気がします。
画面の中の墓地が本物より綺麗に清掃され華やかに設置されていても、濡れた手で拭いてあげないと気持ちが晴れない。
故人にはどうでも良いことかも知れないが、残された私の気持ちの持ち方は、簡単には変えられない。
ことあるごとに一方的な会話は頻繁にされていて、些細なことでも大事に至らなかったのは常に守られているからだと思ったり。


電光に照らされたネットの墓地にお参りしても薄情者だと見透かされているようだ。
いっそ嘘でもいいから故人の動く映像で語りかけてくれればどんなに良いだろう・・・だけど、羨ましいのは故人は歳をとらない。