かわいい子には・・・「旅」「楽」?

hitto2008-10-22

つたない文字の羅列でしかないこのブログも既に3年目へ突入してしまった。
ありのままに書き込んでみたいが、殆どが差し障りのないもので、自分が読み返してもあまり意味のないものばかりです・・・過去の4、5日分を振り返るだけでもバカバカしくて飽きてしまうのだから、通りすがりに開いてしまった人にさえ謝りたい気持ちになってしまう。
ネットから拾い読みした文章を掻き集めたものの方が、ずっと意味のあるものです。
といって、あからさまに私情をぶちまけることも出来ないし。
やっぱり、そこそこ気を使いながら書き込むことに。


「来年になったら自炊するから・・・」と次男。
「出来るものならやってみたら・・・」と夫。
「学生のうちは無理無理・・・」と話しをまともに取り合わない私だけれど、どれ程の計画性があるのか、根ほり葉ほり聞き出す・・・答えは曖昧。
敷金、保証人、家財、食費に光熱費、遊ぶ金とどれだけ掛かるのか・・・それに掃除に洗濯・・・むちゃくちゃだ。


実際にそんな事を言われると、今の家族が同じ屋根の下で暮らすのも僅かな時間なんだと急に感傷的になってしまう。
仕事をしながら横に目をやると、家族で旅行に出掛けたスナップ写真が貼ってある。
随分昔のものだ。
次男が高校へ進学してから、札幌へも近郊へも泊まりがけの旅行がなかった・・・ついて来ないという事情もあったけれど。
もっと沢山出掛ければ良かったかな・・・あとの祭り、写真をしみじみ眺めていると言葉にならない思いがこみ上げてくる。


まだ本決まりではない・・・(親の)借金もそのまま、アパートを借りる準備資金等も用意できていない。
学生の身でバイトをしながら、親の援助も無しでどこまで出来るのか?

今はお金を貯めると言っているが・・・本当に貯められるのか?全く信用ならない。「自立」の文字が思い描けるような歳になったのか・・・考えてみれば来年は20歳だった。もう親の許しがなくとも結婚出来る歳ではないか。


いつだったか、どちら様だったか?ブログから拝借した内容が、今になって重く響いてくる。それには、

「かわいい子には□をさせよ」の空欄を、小学生の親に問うと、圧倒的多数が「楽」と答えたそうだ。
私は笑ってすますことができなかった。
こんな簡単なことわざを間違える親が多いということは、子どもに与える影響が大きいから・・・・・
今の子どもたちに欠けているのは、失敗し、成長していくというプロセスである。
「かわいい子には旅をさせよ」とは、苦労するのは心身ともに丈夫な大人になるためには必要なことを意味する。このような言葉が死語になっていく日本の将来が心配だ・・・。


如何にも有り得る話だ。
解っていながら、本音で「楽」と答えてみたりして?疑わしいが・・・

とかく我が子の事となると、如何に苦労をさせず「楽」に安泰なレールを引きたがるものなのか、親が転ばぬ先の杖となっては、仕舞には親が奪った苦労が仇となって、親亡き後に子の身に降りかかってくる、そこでどんな苦労を味わうのか。

誰も教えてくれない苦労は身を以て若いうちに体験させた方がいいのだろう。
本人は苦労などと思ってもいない。
かつて私がそうだったように、親の干渉を避けて楽しくやりたいだけだ。
そら言わぬ事ではない・・・なんて言われぬように、苦労を持ち帰ることをしなければよいが。
持ち帰った時には親の苦労も増えるばかりだ。親の方も突っぱねる強さが必要になる。

「旅」というより「好きに」させよ・・・と、放棄しているのか。どちらにせよ、子供の将来は子供のものだ。